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Started by Rokunowa
Fri, 26 Apr 2002 07:15
PS-Origine of Jap lang.+極移動と日本語の起源!+。。
Author: Rokunowa
Date: Fri, 26 Apr 2002 07:15
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Rokunowa <adaptgiken@par.odn.ne.jp> wrote in message news:... 三千五百年短周期の地軸大移動の発見 と 日本人と日本語のルーツがアイヌであ るとの 新説 English version of this NEWS > is after japanese txt. > > E-mail ; adaptgiken@par.odn.ne.jp > > > > 日本語の起源は現在不明だとされ て > いる。ところで、私は天文考古学の 手 > 法を使い世界の巨石 > 遺跡が地軸大移動と人類の大量死を 記 > 録している事実を発見した。その副 産 > 物として、日本語の > 起源はアイヌ語であると言う発見が う > まれたのである(拙著『天文考古学 と > 地軸大移動』参照) > 右の地軸大移動は三千五百年周期 で > 起こり、七千年ごとに地球の半分の 土 > 地を無人の荒野にす > る。その為、民族移動が起こり、無 人 > の日本列島に、新たに極東シベリア の > チュクチ半島からア > イヌ語をしゃべる人々が移動した。 七 > 千年前の縄文日本人の誕生である (拙 > 著『馬鹿を意味する > 方言の謎』「日本人のルーツはどこ か > ?」・・近未来に地軸大移動は起こ るか > ?・・・・参照) > その後、三千五百年前、地軸大移 動 > が再び起こり、気候が大変化した。 タ > クラマカン砂漠を中 > 心としてアジア大陸深奥部は砂漠化 に > より飢え、その後民族移動の玉突き は > 千数百年にわたり続 > いたのだ。この飢えと気候変化によ > り、大陸から種々の民族が雑多な言 語 > を持って朝鮮半島を通 > り、弥生期を形成する大陸諸民族と し > て日本列島に渡来したのである。弥 生 > 渡来語の発生であっ > た。この弥生渡来語が、先住民の縄 文 > アイヌ人(原日本人)に吸収され、 合 > 成されたのが現在の > 日本語であり、万葉語であったの だ。 > > > ◎ 拙著『馬鹿を意味す る > 方言の謎』の『あとがき』を引用 > 私の定期的な地軸大移動の発見 は、 > 天文考古学的に、現存する三千五百 年 > 以上前のエジプトの > 水時計の謎を解決するものであった > ・・・・この水時計は三千五百年以 上前の > エジプトの首都テーベ > が緯度一五度であった事実を示して お > り(現在のテーベは北緯約二六度) 天 > 文学と考古学上の謎 > とされていたのだ。極移動の約百九 十 > 度の移動は、三千五百年前の右テー ベ > が南緯一五度に位置 > していたことを示した。これまでの 謎 > は、私の発見によって解明されたの で > ある。右の極移動の > 発見は三千五百年前の右テーベにお け > る河馬の存在をも説明していた(河 馬 > は熱帯にしか生存し > ない)また、七千年以上前の英国に お > けるテームズ川の川底から出土した 河 > 馬とライオンの骨を > 説明し、フランスの河馬の骨の出土 を > も説明していたのだ(英仏は当時熱 帯 > 地方であった) > その後、私は日本の遮光器形土偶 そ > の他の土偶が、地軸大移動直後の地 磁 > 気減衰とガンマー線 > 照射によるカタワをかたどった土偶 で > あった事実を提唱し、その証拠とし て > 世界の否定詞が月神、 > 牛、梟だけであるとの川崎真治氏の 発 > 見を、その裏ずけとした・・・・日 本の馬 > 鹿を意味する方言が、 > ことごとく右の月神、牛、梟で構成 さ > れている事実を『馬鹿を意味する方 言 > の謎』で解明した。 > 七千年前の地軸大移動が日本列島に 住 > む人々を全滅させた必然性を、私は 発 > 見し、その後に、シ > ベリア、チュクチ半島からアイヌ民 族 > が日本列島に三千キロ以上の移動を し > て日本人のルーツに > なった必然性をも発見している > ・・・・『日本人のルーツはどこか ?』参 > 照。 > 本書を書いた後に、私は万葉集の 難 > 解な枕詞のことごとくをアイヌ語で 解 > 明したのだ・・・・古代 > 出雲王朝を大国主と共同して造った と > されている少名毘古那は出雲だけで は > なく、関東でも神と > して信仰されているが、アイヌ語の 神 > であった。スクナヒコナとは、 > siknak+pikko+ne・ ・・・ > というアイヌ語なのだ。 > siknak=盲目、pikko = > ビッコ(チンバ)ne=~である・ ・・・ > との意味を持つアイ > ヌ語である。少名毘古那は、『盲目 で > チンバである神』であった。 > ちなみに、少名毘古那の名前を 知っ > ていたクエピコもまた、アイヌ語の 神 > であった。 > クエとはアイヌ語のクエで、ku w > aクワ=杖、ピコ=pikko=片 足 > ・・・・を意味するアイ > ヌ語である。kuwaは今日の日本 語 > の鍬の語源となっている。縄文時代 に > は杖こそ唯一の農具 > であった。今でも、未開地の焼き畑 で > は杖こそが農具であって、杖で穴を 大 > 地にあけ、そこに種 > を撒くのだ。 > 民俗学者として著名な吉野裕子氏 > は、クエピコであるカカシのことを 日 > 本古語で蛇を意味した > カカから解釈され案山子とは蛇を意 味 > するとされたのは卓見である (『蛇』 > 法政大学出版局刊) > 右を受けて、私はカカシとは片足= 蛇 > 足・・・・を意味し、しかも、日本 古語の > 蛇を意味するカカと > はアイヌ語で蛇を意味するkokk o > p=カカ・・・・が語源である事実 を発見 > 主張しているのだ > (拙著『月神と蛇信仰』を参照) > このカカがアイヌ語の女陰を意味 す > るkokkaを生み出し・・・・日 本語の > 女房を意味するカカ > ァの語源になり、母を意味する『オ カ > アサン』・・・・御カカ様から来た 言葉を > 生み出したのである。 > 轆輪はチャランパランを言ってい > る、と反対する人もあるだろうが、 蛇 > が何故、母と関係する > ことになったかと言えば、縄文時代 に > 母は蛇神と目されていたのだ。 > 右は石神(シャクジン)信仰・・ ・・ > シャモジ信仰として日本全国の民俗 の > 神として残っているの > だ。この信仰はシャクチ信仰として 長 > 野県などで色濃いが、インドにも シャ > クチー信仰として信 > 仰されている(拙著『石神考』参 照) > シャクチーは何を意味するか、は民 俗 > 学の謎であったが、 > これがアイヌ語であったのだ。ch a > +kut+i・・・・と言うアイヌ 語が > シャクチ信仰の語源で > あり、この信仰を解く鍵でもあっ た。 > chaとはアイヌ語で(口)を意 味 > し、kutは多くの意味を持つが > (喉)を意味する、iは > 代名詞の(それ)を意味する言葉で あ > る・・・・チャクチ信仰はインドで は性力 > の神とされているの > だ。この信仰は原初、子供を生み出 す > (口)の神として性の神であった。 こ > の信仰は大地母神と > しての母の女陰信仰であるが、女陰 の > 口は、伸縮自在の口を持つ蛇の信仰 と > 二重うつしになった。 > 日本の土偶にも蛇を頭に乗せたもの が > 発見されている(長野県藤内16号 居 > 住址発見の土偶) > 右のkut+i=口・・・・が口 と言う > 日本語の語源でもある。また、ch a > チャ、シャ=口・・・・ > も日本語に入っているのだ。cha + > par=シャベル・・これが、日本 語 > の(しゃべる)の語 > 源である。右のchaもparと言 う > 言葉も、また、口を意味する二つの ア > イヌ語なのである。 > 「轆輪はチャランパランを書いて い > る」との俗語も、char+an+ p > ar+an・・・・と言 > うアイヌ語そのものであったのだ。 c > har=口=parで、anとはア イ > ヌ語で(~である) > との意味の言葉なのである。チャラ ン > パランとは(口である、口である) と > の、まさに、アイヌ > 語そのものなのである。しかも、a n > こそ日本語(ある)の語源であった の > だ。「借金をチャラ > にする」のチャラもアイヌ語であり > 「ペチャクチャ、シャベル」もすべ て > アイヌ語の口、口、口 > を意味する言葉であった(シャベル の > ベルはparとも言えるが、per a > =さじ、へら、pa > runpe=舌・・を意味するアイ ヌ語 > ともいえる。舌=ベロの語源) > 右を発見した私はインドのシャク > チー性力の信仰をもってアイヌ民族 の > 一部が日本人のルーツ > となり、一部は長駆ヒマラヤ山脈の レ > プチャ民族となり、インドにまで達 し > てチベット語やタミ > ール語にまで混交し、また、一部イ ン > ドネシアにも移動していると主張し て > いるのだ(拙著『月 > 神と蛇信仰』参照・・近刊) > 現在、私は万葉の難解な枕詞をす べ > てアイヌ語で解明し、発表した (『ア > イヌ語の万葉集』近 > 刊予定)・・また、日本列島の民俗 の > 神々が、アイヌ語の神々で、しかも 縄 > 文時代からの月神信仰 > の神々であった事実を私は解明した > (『民俗の神々はアイヌ語の神』・ ・近 > 刊) > 例えば、侍・・サムライと言う日 本語 > を私はアイヌ語で解明した。sam + > ray=サムライ・・ > である。samは(おそばに)との 意 > 味のアイヌ語で、rayは(死)と の > 意味のアイヌ語であ > る。サムライは(君のおそばで死ぬ > 者)との意味のアイヌ語であったの > だ。この発見で私はショ > ックを受けた。サムライまでアイヌ 語 > であったからだ・・君主を意味する 君も > またアイヌ語である。 > ki+min=君である。kiは (光 > り)を意味し、minは(肉体)を 意 > 味するアイヌ語なの > だ(君=光る肉体、minは身の語 > 源) > アイヌ語は母、お母さんの語源だ け > ではなく、お父さんの語源でもあっ た > ・・・・アイヌ語に母を > 示すトトと言う言葉がある。tot o > は乳を示すtoから作られた母を示 す > アイヌ語である。こ > の言葉は性的変換して日本語とな り、 > おトト様からお父さまになったので あ > る・・・・また音韻転化 > して乳と言う言葉になり、チチ=母 ・・ > から性的変換して、父チチ・・と言 う日 > 本語になっているの > だ(日本語の母はアイヌ語のhop の > 複数形のhoppaからきている・ ・・・ > 母こそが赤子を作り > 出し分離した者だから、分離を意味 す > るこのアイヌ語が日本で母を意味す る > ようになったのだ・・ > ・・オフクロサン・・母は古代に梟 であっ > た。アイヌ語でも母はhopoと言 う > 言葉なのである) > ・・・・横浜で今世紀始め、売春 宿を > チャブ屋と言っていたが、この言葉 は > アイヌ語の月神を意味 > するchupチュプと言う言葉が最 近 > まで生きていた事実を示しているの > だ。餅つき、望月はア > イヌ語でmu+chi+月・・から 来た > 言葉であった。mu=詰める、ch i > =性器・・・・で満月は > 性器を満たして膨らむと古代人に信 仰 > され、月神は性神であったのだ。こ の > 言葉がチャブ屋にも > 生きていたわけである。 > 右のごとく、本書は、私にとっ て、 > 古代日本語がアイヌ語であった事実 を > 主張する出発点とな > り、日本人のルーツを発見し、新た な > 扉を押し開く記念碑的作品となった の > である。 > (一九九八年七月七日・・ 記 > す) > > > > > > > > > 縄文時代の包茎と包茎手 術 > を意味する言葉・・・・「印地打」 につい > て > (『縄文セックス の > 発見』より引用) > > 江戸時代に包茎は「皮かつぎ」と か > 「皮かむり」「越前」「スッポン」 > 「スボケ」と言われて > いた。「皮かつぎ」は仮性包茎が亀 頭 > を露出させた時の形状「越前」は大 名 > 行列で越前の殿様が > 槍のさやに熊の毛皮を使用しその様 子 > から隠語化した。「逢うて死にたい 皮 > かつぎ....」..包茎 > のふんどしかつぎ:力士とセックス を > したいものだ:と願望する遊女の川 柳 > もある。 > 包茎手術を当時、羅割(ラセツ) 切 > 見世と言った。羅せつはマラの割 礼、 > 切見世は寺社などの > 店舗を言うが、隠語で、切って亀頭 を > 見せた事実をしめす。 > 縄文時代には、私は包茎手術が あっ > たと思う。おそらく包茎手術はツブ テ > と言った。ツブテは > chup+te=ツブテというアイヌ語で 「月 > 神がさせる」という意味である。後 年 > ツブテは河原での石 > 投げ合戦の石を意味する言葉となっ > た。弥生時代はツブスとも言ったで あ > ろう。 > chup+ス=ツプスという言葉は「月 神 > の鳥」という意味で縄文信仰以来の 性 > 神で破壊神のふくろ > う神を示す。このチュプは月神とい う > アイヌ語、スは弥生渡来語で鳥を示 > す。ツブスは押しつぶ > すことを意味する。縄文時代、弥生 時 > 代には河原で、男や青年たちが年下 の > 少年たちの包茎を調 > べ、石で包茎の包皮を押しつぶし、 押 > し切ったのである。 > 鳥を示すスは古代の明日香、吾妻 の > 国のアスのスである。このスはウグ イ > ス、ホトトギスのス > で鳥を意味する。アスカ、アスマの ア > は牛神を意味し、アルファベットの α > である。エジプトで > は牛をアウワ-と言い、セム語では ア > リフと言った、牛の象形文字からα の > 文字もできている。 > アスとは牛鳥でふくろうを意味 し、 > 古代の三大破壊神、月、牛、梟神の 梟 > を示す。明日香の枕 > 詞は『飛ぶ鳥の』吾妻の枕詞は『鳥 が > 鳴く』で、私の以上の発見を立証し て > いる(月神、牛神、 > 梟神は古代から肉体、性、破壊の神 で > あった。世界の各民族の言語におい > て、この三神のみが否 > 定詞になっており、馬鹿を意味する 言 > 葉もこの三神からできている) > 後代、石投げ合戦は「印地打ち」 と > も呼ばれ、中世の文献に残るが、原 初 > は縄文時代の日本語 > であるアイヌ語で、imu+chi+ウチ=イ ム > チウチであった。伊牟知と訓まれて い > る。イムとはアイヌ > 語で病気(ヒステリー)を意味し、 チ > は陰茎を意味する。ウチとは叩くこ と > で、日本語の『打つ』 > はアイヌ語のuta=うた;「打つ」と 言 > う意味から転化した言葉である。上 記 > のイムは日本本州で > 「忌む」という言葉に成っている。 > 「イムチウチ」とは「忌むべき陰茎 を > 叩いて割礼する」と言 > うアイヌ語で縄文語であった。イム チ > こそ縄文アイヌ語で包茎を意味する 言 > 葉なのだ。この印地 > 打ちは日本諸国で古代から行われ、 後 > 代、石合戦になった(石で傷つける 共 > 通点あり) > 包茎のうちもっとも困る真性包茎 > (true phimosis 参照)は性行為に > よって亀頭が露出すると > 皮が元に戻らず亀頭の首を包皮が絞 め > つけ、ついには亀頭の壊死をもたら > す。このような包茎は > 百人、千人に一人ではあるが、石器 時 > 代から、問題であり、各民族はさま ざ > まに対処してきた。 > ユダヤ人は誕生後すぐ、日本人エジ プ > ト人は成人になったときに行ったの で > ある。 > エジプトのサッカラのアンクマ ホー > ルの墓には包茎手術のリリーフが二 面 > あり、三千年以上も > 前のものである。施術者は二つとも 掌 > 大の石器で割礼を施している。 > > (注);;石合戦と割礼との関係 は > 私の発見ではない。折口信夫その他 の > 民俗学者はこのこと > を推定してきたが、決め 手 > がなかった。アイヌ語によって割礼 が > 原初であることを立 > 証したのが私の功績であ > る。 > > > 2001年12月22日 轆 > 輪眞山 > > > > > > > > Poleshifting and origine of > japanese lang (1) > > E-mail ; adaptgiken@par.odn.ne.jp > > > > Recently I made a discovery that > the origine of japanese language > was > ainulanguage of Ainu minority race > in hokkaido north area of japan. > By the aid of the astoronomical > archaeology of my commencement I > made > a discovery that the poll shifting > took place once in 3500years with > short term > cycles. It have been discovered by > me that ancient Ainu race have been > coming > from far east of siberia to japan > about 7000 years ago when the pole > shifting > took place that far east of > siberia changed from 35.N.Lat. to > 70.S.Lat. > And this time in japanese islands > all people died by this > Poleshifting, > So the root of japanese people > should be Ainu race only. > This discovery has been described > in my literacy works of japanese > and ainu > language and of my astronomical > archaeology. > > > > Poleshifting and the origine > of Japanese lang (2) > > STONEHENGE > --Ancient astronomical > construction observes sunrise and > sunset in each soltice.. > 1972A.D.I made a discovery, > researching in ancient Japanese > stone construction > that the South Pole before 1500 > B.C. was placed to northwest of > Parry Islands > at Long.145 ~ 146 west, at 79 ~ 81 > N. Lat. > This time, Salisbury, England was > situated at 42.S.Lat. > and the near-by Pole direction has > the discrepancy about 8 degrees in > angle > to north west. Now, Salisbury is > placed at about 51 N. Lat. and > northern direction > has no discrepancy, of course. > > The direction of midsummer sunset > and sunset in the winter solstice > at > ancient Salisbury should be > computed by the formula such as > follow: > > Formula; Cosα= - sin δ/ cos > ψ > δ: Sun latitude ψ ; > Latatude of observing place. > > (N; + s; -) > α; Horizontal direction of > sunrise (sunset). > (true south = 0 to > east ; + to west ; - ) > > The computation of the direction > in midsummer sunrise (sunset) at > ancient > Salisbury is as follows; > > Cosα= - sin 24°/ cos42° > δ; (B.C. 2000) is about +24° > ψ; > (B.C.2000)of Salisbury is about > 42°S.Lat. > > Cosα= - 0.4067 /0.7431 = - 0.547 > (sin 24°=0.4067) > > (cos 42°=0.7431) > > α= ± 123.2°= ± (90 + 33.2)° > > The winter solstice same > computation (δ = -24°) > cosα= -0.547 ......α = ± > ( 90-33.2°) > > But the earth is not true > globular. So, true direction of > sunrise or > sunset is not same direction by > computation. > By reason of it, the direction of > computation on desk must be > corrected > by data of the present age > observed in each country. > > amended direction such as > follows. > > Sunrise(Sunset) in Summer > Solstice ; ±124° > Sunrise(Sunset) in winter > Solstice ; ±58° > > Next, Salisbury 51" N. Lat. today > is the question, by similar > computation > and similar amendment that is based > on data of astronomical observation > today > at each Lat. > The direction of sunrise and > sunset will be deduced as follows. > > Computed direction: 1 > > Cosα = - sin ± 23.45°/cos > 51°≒ ±0.634 > > > α ≒ ±(90 ± > 38.6)° > > Real direction of each Soltice > will be as follows. > > Sunrise(Sunset) in Summer > Soltice ; ±130.5° > Sunrise(Sunset) in winter > Soltice ; ±52.2° > > Now, we had all the cards. Real > direction of sunrise in ancient > Saliabury > and real direction in present > Salisbury must be synthesized such > as follows: > (Chart 1) > > > Chart 1 ; A survey map of > Stonehenge quoted from > encysclopedia > > Let's compare above plan and plan > of stonehenge but this time the > centre > of stonehenge should be roughly > placed at tho point of intersection > where > two lines crossed, one is alined > from north barrow to south barrow; > another line aligns two station > stones. > > Before about 1500 B.C. an > observer on the centre should have > seen that > the midsummer sun sets in > approximately over the hele stone > and that > the sun in the winter solstice sets > in approximately over the east > station > stone and the sun in the summer > soltice rises approximately over > the west > station stone (this direction has > the discrepancy about 1 - 2 > degrees, but > if the centre be amended, there > will be no discrepancy. ----- This > problem > will be directly related to the > important fact that the observer > on the point of centre will be > blindfolded with his eyes by the > stone > setting consisted of horseshoes of > uprights. this fact will grow > a refutation to my hypothesis but > this fact may only disclose that > the centre is not a point but a > short line or a bit of area ...... > or > that only these stones had been set > being consisted of horsoshoes of > uprights after 1500 B.C. This time > by stone setter the direction of > old winter soltice buried in > Salisburry (not a Joke)--- After > all,this > problem should have to be studied > by any archaeologist in the future. > > At present time (1974 A.D.) the > observer who stands on the centre > should have seen that the sun in > the summer solstice rises > approximately > over the helestone, but this fact > was not the intention of the > helostone > builder while that was an > unexpected accident for them. The > builder of > helestone at the present place > might have probably intended the > direction > of the midsummer sunset in 2000 > B.C. (or 5000 B.C. ~ l500 B.C. > 42°S.Lat.Salisbury). also, they > had intended to set the helestone > stand at the point over which the > observer on the centre of north > barrow observes the sunset in the > vernal equinox and in the autumnal > equinox in about 2000 B.C.(or 5000 > B.C.~1500 B.C.) > > --- All above stated, should > demonstrate my hypothesis enough > but > there is another fact. For > example, what the purpose the south > barrow > has been built for? The axis of > symmetry of stonehenge itself and > of > the section adjoining stonehenge > had been made for the purpose to > point to the important direction. > what is the important direction? > Primarily when stonehenge was > built? .....etc..... > > Perhaps, stonehenge was built > before more than 5000 B.C. in the > beginning. This time Salisbury was > placed at 23° ancient N.Lat. and > one of the Poles was placed at the > center of China, may be placed > at Long.113.5° east, at 36°20′ > N.Lat. > > The axis of symmetry of stonehenge > itself and the direction to the > helestone from the centre had been > pointed to the North Pole in that > time and station stones and two > barrows were the key marks of > the direction to sunrise and sunset > in each soltice and each equinox > such as follows. > > Chart 2 txt ; A survey map > of Stonehenge quoted from > encyclopedia > > > In the future, this historical > and global hypothesis will be > recognised > and authorized. > > Rokunowa November > 1975 > > > > > > > > Book txt > I'm sorry. this text is > japanese only, because my litaracy > works > published by japanese > only. > > > 好 評 発 売 中 ! > 轆 輪 眞 山 』 の 本 > > アダプト技術研究所発行 > > ~世界の否定詞と古代 月 > 神信仰~ > 『馬 鹿 を 意 味 す る > 方 言 の 謎』 > > 200ページ ¥3000円 > > ◎ こ の 本 の 主 要 > な テ ー マ > 発見!・・日本の馬鹿を意味する 方 > 言は、すべて月神と牛神と梟神を意 味 > する > 言葉から構成されていた ! > ・・月神、牛、梟は世界各言語の否 定 > 詞。 > 解明!・・天文考古学による七千 年 > 前の大異変のみが右を説明すること が > でき > る(大異変=地軸大移 動) > 馬鹿・・馬鹿、アホウ、ボケ、ホ ンジナ > シ、タクラタ、ボンクラはフクロウ 神を > 意 > 味する。 > 馬鹿方言・・ダラ、ナンナ、タワ ケは > 月神。アンゴウ、ゴジャッペは牛神 を意 > 味す > る。 > 日本人のルーツ・・シベリアから 来 > たアイヌ民族である。日本語の起源 も > アイ > ヌ語であった。 > 地軸大移動・・七千年前の大異変 に > よって日本列島は全滅無人となりそ の > 後に、 > シベリアからアイヌ民 族 > が無人の日本列島に渡来した。彼ら こ > そ > が縄文原日本人で日本 人 > のルーツとなった。 > > > ~三千五百年周期の極 移 > 動の発見~ > 『天 文 考 古 学 と > 地 軸 大 移 動』 > > 192ページ ¥3000円 > > ◎ この本の主要な > テーマ > 発端!・・・・明日香村 の巨石 > が語る地軸大移動 > 発見!・・・・ストーン ・ヘンジ > も同じ極を示した > 発見!・・・・エジプトの 神殿も > 同じ極を示していた > 太陽・・・・・・三千五 百年前、 > 太陽は西から昇った > 土偶・・・・遮光器形土 偶は地 > 軸移動後の不具を示す > 第12惑星・・・・メソポ タミア > の伝承・・第12惑星は恐怖の大王と して > 地 > 球に来る! > 立証!・・・・エジプト はかっ > て南緯15度にあったことがパピルス に > 書 > き残されていた! > 熱帯・・・・三千五百年 以前の > エジプトは南半球所在の熱帯で河馬 が > 生 > 息していた・・・ > > > > > > > > ~アイヌ語の万 葉 > 集~ > 『日 本 人 と > 日 本 語 の 起 源 ①』 > > 208ページ ¥2000円 > > ◎ この本の主要な > テーマ > 日本語の起源・・・・ア イヌ語 > こそ縄文日本語で、日本語の起源だ ! > 万葉の枕言葉・・・・古 い主要 > な枕詞はすべてアイヌ語であった > 弥生大陸渡来語・・・・ 弥生時 > 代以後朝鮮半島を経由して渡来語が 流 > 入 > アイヌが主流・・・・万 葉時代 > まで政治文学はアイヌ語が主流 > 月神信仰・・・・・・・ ・縄文時代 > の信仰の中心、月神信仰の謎を解く > 鏡、暦、石神・・・・月 神信仰 > における蛇信仰の謎を解明する > ぬば玉、浪速・・・・ア イヌ語 > で解明、月神の盲目、月神の罰。少 名 > 毘 > 古那はアイヌ語。 > ソイヤ・・・・・・・・ ・・浅草の神 > 輿の掛け声はアイヌ語だ! > あしびき・・・・・・・ ・片足を意 > 味し、陰核や男根の痙攣をも意味す る > ア > イヌ語 > 山・・・・・・・・・・ ・・・・引き裂か > れた妻、引き裂く女神を意味するア イ > ヌ > 語 > チハヤブル神・・・・ア イヌ語 > で;取り去り、引き裂く性癖の月神 > 母、お母さん・・・・ア イヌ語 > である。ハハ=分離、カカ=女陰 > 父、お父さん・・・・ア イヌ > 語。トト=チチ=乳=母。母が転化 し > た言 > 葉。 > > > ◎ロクノ ワ > シンセンの新しい学説 > 大異変・・・・・・・・・・七 千年前、地軸 > 大移動により日本は一時的に八千 メー > ト > ルの海水の下と な > り無人となった。 > 緯度の変化・・・・・・七千年 前、地軸 > 移動により極東シベリヤは緯度三五 度 > か > ら緯度七〇度に 変 > 化した。 > 日本人のルーツ・・・・七千年 前、極東 > シベリヤから無人の日本列島に移住 し > たアイヌ語を > しゃべる民族。 > 日本語の起源・・・・・・縄文時 代の原日 > 本人はアイヌ人、縄文原日本語はア イ > ヌ語であっ た。 > 中国、韓国人・・・・・・七千年 前に中 > 国、韓国で人はすべて滅亡し、その 後 > に > 西シベリアの 民 > 族が移住した。 > 米、その他の植物・・・・・・シ ベリアが > そのルーツである。 > 地軸大移動・・・・・・・・三千 五百年短周 > 期の地軸大移動は七千年ごとに、地 球 > の半分の地域 を > 一年間数千メートルの海底に沈め る。 > 紀 > 元前千五百 年、 > 紀元前五千年前に地軸大移動が起き > た。 > > > * ここで紹介する本は書店では 絶 > 対に売っていません。当方までメー ル > す > るか、図書館で読んで下さい (日 > 本では、自由な学問と研究の発表は 取 > り > 次ぎ機構と出版社と再販制度に > よって規制されています) > 私の本は最寄りの各市立、区 立 > 図書館にあります、是非ご一読下さ > い。 > (但し、沖縄県、広島県、横浜 市 > の図書館にはほとんど無いと思いま > す) > > E-mail ; > adaptgiken@par.odn.ne.jp > > > ◎ 新刊・・・・2001年6月、 第一刷発 > 刊 > ~アイヌ語のヤマト言葉~ > 『日本人と日本語の起源 ②』 > 轆輪眞山著 > 2 > 00ページ 定価 ¥3000 円 > > 第一章 『アイヌ語のヤマト言 葉 > Ⅰ』とんぼ、あきつ、そらみつ、と ん > ぼ、 > いわばしる、草枕、 さ > ねさし~相模、大和、まそ鏡、た こ、 > 甘南備山、 > 青によし奈良、山、 > 川、ニライカナイ、オモロ草紙、寒 > い、春、長谷、 > 夏、秋、冬、草枕、 旅 > ;はアイヌ語。チチンプイプイ、エ ヘ > ンプイプイ、 > チハヤブル神、影も ア > イヌ語。オマンコ、オメコはアイヌ > 語。 > マタギ、糸、天 (ア > マ)はアイヌ語。 > > 第二章 『アイヌ語とヤマト言 葉 > Ⅱ』 天、ねもころ、雁、日暮里、 会 > う、逢う、 > うしろめたさ、シベ リ > ア、バイカル湖はアイヌ語。 > 稲負鳥は梟神。イザ ナ > ミ、イザナギ;はアイヌ語。嫐、嬲 > (ナブル) > 星は月の子とのアイ ヌ > 語。寒い、川、海、山はアイヌ語。 > > 第三章 『アイヌ語とヤマト言 葉 > Ⅲ』 神風、伊勢、八坂、杖、千 歳、 > 峠、左義長,佐伯、 > 枷、人、大津、神さび、寒い、やす み > しし~吾大君、 > うつせみ、あずさゆ み、 > 磯、浅間、マッチ山、讃岐、ありね よ > し~対馬、かけまく > も、ゆゆしきかも、言わまくも、あ や > にか > しこき、天照大神; は > アイヌ語。浅間山、浅間神社はアイ ヌ > 語。 > 神武天皇はアイヌ 語 > で自己の勝利を語るアイヌ人。 > 小野小町、局、対 > 馬、讃岐、裳、浅草、良し、黒幕・ ・は > アイヌ語。 > > > ・・・以上、万葉時代のヤマト 言葉 > はほとんどアイヌ語であった。 > > > * ニュースグループのセックス 関 > 連に、アイヌ語で解明した日本の性 的 > 用語について > 拙著のニュースが投稿されてい ま > す(alt.sex....で始まるグループを 参 > 照のこと) > 『NEW-SEX!.+ 縄文セックスの発 見 > !+..』という題名です。 > > > > > > > PS and Origine of jap > lang (3) > Pole shifting and Temple > of Amon-Ra > このテキストの日本語版は英 文 > の後にあります。 > > > Recently an important book was > published in America concerning the > temple > of Amon-Ra and the astronomical > archaeology titled "Beyond the > Stonehenge" by > Gerald.s.Hawkins. In the book he > said that the axis of the temple of > Amon-Ra > over which the ancient Egyptian > observe sunrise in winter solstice > points to > about 26.5° from east to > south...... > > But by Festival Hall of Thutmose > III, they were blindfolded with > eyes from > ancient to nowadays. > So, Gerald s. Hawkins reached a > conclusion that from the centre of > the back > of the building ( Festival Hall of > Thutmose III ) to old temple of > Ra-hol-ak-tie > in background of the temple, the > true axis was placed and they > observed sunrise > in winter solstice over this axis > standing on the centre of the back > of > Thutmose III building, Or the high > and small temple which are only 20 > metres > long built on the north side of > the Festival Hall of Thutmose Ill > was the another > observing place and observing > construction. > > But this conclusion is very > doubtful because the high and small > temple of sun > is only 20 metres long and the > angle of view has too much width > and such angle > of wide view also takes place on > the true axis of background of the > temple of > Amon-Ra, So, his doubtful > conclusion must be denied by the > reason of the angle > of wide view which does not > represent the scientific exactitude > but also by > the reason of great riddle of > building of Festival Hall of > Thutmose III, > his conclusion must be denied too. > > If the axis of the temple of > Amon-Ra itself has the ancient > direction of > the sunrise in winter solstice > which points to 26°37′ from east > to south, > why did not they observe over this > axis and why Thutmose III built the > Festival > Hall which interfered and > blindfolded with this observation? > > > Now, measurement was made for the > direction of the axis of the temple > of > Amon-Ra on the survey map quoted > from the book "Beyond stonehenge" > by Gerald.s.Hawkins which was, he > said, the copy of one offered by > the French > investigation of Egypt in Karnak. > The direction of the axis of the > temple is at about 24°and this is > not 26°37′. > In 1972, I made a discovery > through researching into and > considering about > ancient stone constructions which > might explain that the South Pole > before 1500 B.C, was placed to > northwest of Parry Islands at Long. > about 145°west, > at about 80° N. Lat. computed by > the method of spherical > trigonometry and > astronomical formula. > > > As the ancient stone > constructiona of the evidence of > the Pole shifting about > 1500 B.C., I can show as followed: > > 1. Stonehenge (England) > 2. Sakawa Stone, etc. > (Japan) > 3. Certain mounds of > Mound Builders (America) > > > Now,I am suggesting > the temple of Amon-Ra as the same > construction > because of the reason as mentioned > above. The discrepancy between the > direction > of the main axis of that and the > direction of ancient sunrise in > winter > solstice was about 2.5°(that are > about24° and 26°37′ in Karnak at > same > latitude as the present) and > therefore there is a great riddle > for the purpose > of building the Feotival Hall by > Thutmose III. > > In my opinion, Thutmose Ill built > the Festival Hall for the blindfold > with eyes of observers in an > attempt to observe the sunrise in > summer solstice > over the axis after the quick > shifting of the Poles, because > before and after > the accident the direction of that > shifted about 2.5° degrees. > > By my attached computation, > before the Pole shifting in 1500 > B.C. the direction > of sunrise (or sunset) pointed to > about 24° from east to south and > Karnak was > placed at about 15°S.Lat. and > ancient south had almost no > diacrepancy compared > with north Pole of present(exact > discrepancy of ancient S Pole and > present N Pole > is only about 40′that directs > ancient S pole 40′west side of > present N pole. > > If the Pole shifting, as my > hypothesis, had never taken place, > by computation > in 1500 B.C. the direction of > sunrise in winter solstice should > have had > to point to about 26°37′ from > east to south just as Gerald s. > Hawkins computed. > > So, the argument whether the > Pole shifting took place in the > reign of > Thutmose III and the one of the > Poles placed to northwest of Parry > Isl > before the Pole transfer or the > Poles shifting never took place in > that time > and after that time will be clear > by such 2.5°discrepancy between > the direction > of the main axis of the Amon-Ra > temple and the direction of ancient > sunrise > in winter solstice. > > In 1500 B.C. at 15°S.Lat. The > direction of ancient sunset in > winter solstice > is 24°4′east to south and that > of ancient sunrise in summer > solstice > is 24°6′west to north. > The main axis of The temple of > Amon-Ra over which the ancient > Egyptian observe > sunrise in summer solstice points > to 24°6′from west to north (In > that time > they observe sunrise from west > that described by Herodotos in > greek B.C.about 480~425) > > by Rokunowa 1976 > August, Tokyo Japan. > > > > > > > 極移動と日本語 の > 起源(3) > 極移動とエジプト、ア モ > ンラー大神 > > エジプトのルクソールにカル ナッ > クのアモン・ラー大神殿がある。こ の神 > 殿も地軸大移動 > を立証するのだ。 > この大神殿は、暦代ファラオに > よって造られ、何重にも重なる石造 の > 門の集合と説明すれ > ば、一番よく理解がいくような大 神 > 殿である。 > ナイル川に面する門から、一番 最 > 後の門まで約五百m以上の距離があ る > のだから、それは > 石造りの巨大な門であって、丁 度、 > 日本のお稲荷さんの赤鳥居の集合体 が > 石で出来ており、 > しかも直線的に各門が設置され五 百 > m以上続いていると思えばよい。 > しかし、現在、この門の集合体 は、 > 途中で巨大な石壁にさえぎられて、 直 > 線でくぐり抜ける > ことは出来ない。今から三千五百 年 > ほど前、エジプトに君臨したトトメ ス > 三世が石の壁を造 > ったからである。それまでの伝統 に > 反し、トトメス三世は、門を造ら ず、 > 門をふさぎ、祝祭 > 殿を建ててしまったのである。 > それは何故か? > アモン・ラー大神殿は、その名 の通 > り(ラ-は太陽の意)太陽神アモン を > 祭る神殿であり、 > 今日、トトメス三世の祝祭殿の壁 の > 裏側から、裏の最後の門であるラー ・ホ > ル・アクティ神殿 > の門を見とおす線上に冬至の太陽 が > 地平から昇るといわれている。 > トトメス三世在位の頃、BC一 千 > 五百年頃に冬至の日の出はどの方向 か > ら昇るかをここで推 > 理してみる。公式を使い、現在北 緯 > 約二五度五〇分のルクソールの緯度 を > インプットすると、 > 二六度四〇分(東から26°40 ′ > 東南の方向)の答えを得る。 > 右の方位を実測値にするには、 冬 > 至日の出なので、三分ほど東に近づ く > 方位としなければ > ならないので、東から南約二六度 三 > 七分の方位と推定される。夏至日没 は > 現在の西北方向、 > 現在の西から二六度四〇分西北に 計 > 算では没する。これを補正すると三 分 > ほど西から離れる > から、夏至日没方位は現在の西か ら > 二六度四三分西南の方位となる。 > この方位こそ、現在の東西南北 そ > のままで現在のルクソールの北半球 に > おける冬至日の出 > と夏至日没の方位なのである・・ ・・こ > の方位は、つまり、もしトトメス三 世 > の頃、地軸が大移 > 動したとしたら、地軸大移動直後 の > 冬至日の出、夏至日没等の方位を示 し > ているのだ。 > では地軸大移動前の冬至日没、夏 至 > 日の出方位はどの方角であったか? > エジプト、ギゼー(大ピラミッド 所 > 在地)は現在北緯三〇度で、旧緯度 南 > 緯約一九度であり、 > 方位差はほとんどなく、五〇分以 下 > であった。 > ルクソールもほとんど方位差は な > く、四八分ほど現在の西に偏り、緯 度 > は一一度ほど低く > なるから、旧緯度は約一五度で あっ > た・・・・・・旧南極(西経約一四 五度、北 > 緯約七九度に位置 > したとして)が南極である場合ル ク > ソール(テーベ)の緯度と方位は球 面 > 三角法で計算して > 以下である。 > > ① 緯度・・・・南緯約一五度 (計算 > 値は南緯一四度二四分) > ② 方位は現在の東=西、西= > 東、南=北、北=南へと変化した (太 > 陽は現在の西から昇 > り、現在の東に没した)方位 偏 > 差 は正確には鳥瞰して反時計 ま > わりに四〇分ほど > のずれがあった。 > > その旧冬至日没方位、旧夏至日 の > 出方位は常識を絶している(現在の 西 > 北西から旧夏至の > 太陽が昇り、現在の東南東に旧冬 至 > の太陽が没した・・・・これは計算 値で各 > 二四度四五分となる) > 右を現在の東西南北に換算すれば 以 > 下となる・・・・これはあくまで計 算値で > あるから、冬至日 > 没の実測値は一分ほどこの緯度で は > 東西の方へ近づくであろう(旧東西 線 > である)それに方 > 位差は四〇分ほど西に偏りがある か > ら、旧方位を現在の東西南北に換算 す > れば、この四〇分 > の方位差も方位を現在の東へ近づ け > ることになる・・・・現在の東から 東南東 > に二四度四分離れ > た方位が旧冬至の日没の方位であ る > ・・・・・・夏至の日の出の場合な ら、緯度 > 的に一分ほど急東 > 西線から離れる。また、方位差に > よって、旧東西線は現在の東西線よ り > 四〇分ほど鳥瞰して > 逆時計回りに偏差しているから、 夏 > 至日の出は四〇分ほど現在の西に近 づ > くことになる。 > ・・・・・・現在の西から西北西 に二四度 > 六分離れた方位である。右の方位を 現 > 在の東西南北に換 > 算して図示すれば、旧冬至日没の 実 > 測推定値は現在の東より東南東に二 四 > 度四分の方位と出 > た。この方位が現在の東西南北に 換 > 算されていることに注意されたい。 > 旧夏至日の出の場合は現在の西か ら > 西北西に二四度六分と出た。この場 合 > も現代の東西南北 > に換算して方位を示している。 > 地軸大移動の前後にエジプトのル ク > ソールでは、様々な変化とともに、 旧 > 冬至日没の方位は > 地軸大移動直後の冬至日の出と比 較 > して二度三三分も変わってしまった の > である。 > また、旧夏至日の出の場合は、地 軸 > 移動直後の夏至日没の方位二六度四 三 > 分から二四度六分 > を除した二度三七分も絶対値で変 化 > したことになる。 > では、このどちらがこの大神殿 の > 眞の方位であったか?二四度四分 か、 > 二四度六分か・・・・ > それは後者だと思う。なぜなら、 ア > モン・ラー大神殿の正門が向く方向 は西 > 北西で、地軸大 > 移動前の夏至の日の出方向であっ た > からだ(例えば『王と神とナイル』 鈴 > 木八司著中の測量 > 図・・・・・新潮社刊の二一九頁 ではだい > たい二四度の方位を示しているが旧 夏 > 至日の出と旧冬至 > 日没の方位二分の差はこの資料か ら > 明確にすることは困難である・・・ ・) > ともかく、本書の後章で示すご と > くパーリー諸島の極は南極であり、 こ > の大神殿は現在の西 > から太陽が昇った時代に造られた 遺 > 跡だと推定できるのだ(ヘロドトス は > 『歴史』の中で、か > って西から太陽が昇ったとエジプ ト > の神官が彼に語ったと述べている。 B > C480~425) > 当時(地軸移動前の)アモン・ > ラー大神殿の所在地では現在の西北 西 > にあるナイル河方面 > から夏至の朝日が昇ったのであ る。 > その時、光線が直射するようにこの 神 > 殿の主軸が設計さ > れていたのだ。 > 地軸大移動によって、農産物から 始 > まり、気候も大巾に変化し、例え ば、 > 河馬の居たルクソー > ル(旧テーベ)あたりも河馬の生 息 > に適さなくなるほどの変化があった > (河馬は現在、熱帯 > 地方、緯度十五度以内を限界とし て > 生息すると言われている) > この地軸大移動の変化は、アモン ・ > ラー大神殿にとって大変化であっ た。 > 夏至の太陽が昇って来た方向に 夏 > の太陽が没するようになると言う大 変 > な変化はもちろん > のこと、冬至の太陽が没した方向 に > 冬の太陽が昇って来たのである。 > この時、エジプトの僧侶やファ ラ > オは、アモン・ラー大神殿が夏至の 太 > 陽日の出方向を指 > す聖なる寺院から、夏至の太陽が 没 > する方向を主軸とする寺院だと民衆 を > 欺くことができた > であろうか? > 地軸大移動前の夏至の日の出方 向 > は、西北西二四度六分であった。地 軸 > 移動後は夏至の日 > 没方向は西北西二六度四三分に変 化 > したのだ。 > 五百mの直線の門の連なりで二 度 > 四五分方位が変わると、末端で約二 十 > 三m余も方位が変 > わるのであるから目じるしは大移 動 > させねばならない。それは可能で あっ > たか? > アモン・ラー大神殿の門の大集 合 > が、まさに地軸移動前の夏至日の出 方 > 向を主軸にもってい > たとすれば、せまい門の幅は四m 以 > 下であるから、誤差範囲は三十分ほ ど > でしかなかったのだ。 > 何十代もの王によって巨石を積 > み、形成されたこの大神殿を一代の 王 > が全部移動させ、修正 > することはできないことであっ た。 > 日光を門に呼び入れる為に、門 を > すべて破壊して、二十三m以上もは ず > れたところに門を造 > るべきか、それとも門をふさいで し > まうべきか、この二者択一にファラ オ > は直面したであろう。 > 王は結局、祝祭殿を建てて門をふ さ > ぐしかなかったのである。この王こ そ > トトメス三世であ > った。 > この移動が起こったのは、だか > ら、トトメス三世の治世か、その前 の > ハトシェプスト女王の > 末期にちがいない(BC一五〇〇 年 > 頃) > 他にも、このBC一千五百年に 世 > 界的な変化と異変、歴史上の混乱が あ > ることから私は地軸 > の移動をこの時期に起こったと推 定 > し、主張しているのである(例えば > モーゼの時代の異変・・ > 聖書の証言) > 現在、現在の冬至日の出が、こ の > トトメス三世の祝祭殿(直線で見通 せ > る門の集合を横切り、 > ふさぐ為に造られた建造物)の真 裏 > の壁から、背後のラー・ホル・アク ティ > 神殿の門を通して見 > ることが出来ると言われている。 こ > の方位は門が沢山集会した、精度を 高 > めた方位ではないの > で、視点を少し移動させれば二度 強 > ほどの誤差修整はわけないことなの で > ある。 > > 轆輪眞山著 『天文考古学と地 軸 > 大移動』一九九九年発刊・・・・よ りの抜 > 粋 > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > > >
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