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1 total messages Started by Rokunowa Mon, 06 May 2002 08:54
PS-Origine of Jap lang.+極移動と日本語の起源!+。。
#13
Author: Rokunowa
Date: Mon, 06 May 2002 08:54
1598 lines
51113 bytes
          三千五百年短周期の地軸大
移動の発見と
                            日本人
と日本語のルーツがアイヌであるとの
新説
       English version of this NEWS
is after japanese txt.

E-mail ; adaptgiken@par.odn.ne.jp



  日本語の起源は現在不明だとされて
いる。ところで、私は天文考古学の手
法を使い世界の巨石
遺跡が地軸大移動と人類の大量死を記
録している事実を発見した。その副産
物として、日本語の
起源はアイヌ語であると言う発見がう
まれたのである(拙著『天文考古学と
地軸大移動』参照)
  右の地軸大移動は三千五百年周期で
起こり、七千年ごとに地球の半分の土
地を無人の荒野にす
る。その為、民族移動が起こり、無人
の日本列島に、新たに極東シベリアの
チュクチ半島からア
イヌ語をしゃべる人々が移動した。七
千年前の縄文日本人の誕生である(拙
著『馬鹿を意味する
方言の謎』「日本人のルーツはどこか
?」・・近未来に地軸大移動は起こるか
?・・・・参照)
 その後、三千五百年前、地軸大移動
が再び起こり、気候が大変化した。タ
クラマカン砂漠を中
心としてアジア大陸深奥部は砂漠化に
より飢え、その後民族移動の玉突きは
千数百年にわたり続
いたのだ。この飢えと気候変化によ
り、大陸から種々の民族が雑多な言語
を持って朝鮮半島を通
り、弥生期を形成する大陸諸民族とし
て日本列島に渡来したのである。弥生
渡来語の発生であっ
た。この弥生渡来語が、先住民の縄文
アイヌ人(原日本人)に吸収され、合
成されたのが現在の
日本語であり、万葉語であったのだ。


       ◎ 拙著『馬鹿を意味する
方言の謎』の『あとがき』を引用
  私の定期的な地軸大移動の発見は、
天文考古学的に、現存する三千五百年
以上前のエジプトの
水時計の謎を解決するものであった
・・・・この水時計は三千五百年以上前の
エジプトの首都テーベ
が緯度一五度であった事実を示してお
り(現在のテーベは北緯約二六度)天
文学と考古学上の謎
とされていたのだ。極移動の約百九十
度の移動は、三千五百年前の右テーベ
が南緯一五度に位置
していたことを示した。これまでの謎
は、私の発見によって解明されたので
ある。右の極移動の
発見は三千五百年前の右テーベにおけ
る河馬の存在をも説明していた(河馬
は熱帯にしか生存し
ない)また、七千年以上前の英国にお
けるテームズ川の川底から出土した河
馬とライオンの骨を
説明し、フランスの河馬の骨の出土を
も説明していたのだ(英仏は当時熱帯
地方であった)
  その後、私は日本の遮光器形土偶そ
の他の土偶が、地軸大移動直後の地磁
気減衰とガンマー線
照射によるカタワをかたどった土偶で
あった事実を提唱し、その証拠として
世界の否定詞が月神、
牛、梟だけであるとの川崎真治氏の発
見を、その裏ずけとした・・・・日本の馬
鹿を意味する方言が、
ことごとく右の月神、牛、梟で構成さ
れている事実を『馬鹿を意味する方言
の謎』で解明した。
七千年前の地軸大移動が日本列島に住
む人々を全滅させた必然性を、私は発
見し、その後に、シ
ベリア、チュクチ半島からアイヌ民族
が日本列島に三千キロ以上の移動をし
て日本人のルーツに
なった必然性をも発見している
・・・・『日本人のルーツはどこか?』参
照。
 本書を書いた後に、私は万葉集の難
解な枕詞のことごとくをアイヌ語で解
明したのだ・・・・古代
出雲王朝を大国主と共同して造ったと
されている少名毘古那は出雲だけでは
なく、関東でも神と
して信仰されているが、アイヌ語の神
であった。スクナヒコナとは、
siknak+pikko+ne・・・・
というアイヌ語なのだ。
  siknak=盲目、pikko=
ビッコ(チンバ)ne=~である・・・・
との意味を持つアイ
ヌ語である。少名毘古那は、『盲目で
チンバである神』であった。
 ちなみに、少名毘古那の名前を知っ
ていたクエピコもまた、アイヌ語の神
であった。
 クエとはアイヌ語のクエで、kuw
aクワ=杖、ピコ=pikko=片足
・・・・を意味するアイ
ヌ語である。kuwaは今日の日本語
の鍬の語源となっている。縄文時代に
は杖こそ唯一の農具
であった。今でも、未開地の焼き畑で
は杖こそが農具であって、杖で穴を大
地にあけ、そこに種
を撒くのだ。
  民俗学者として著名な吉野裕子氏
は、クエピコであるカカシのことを日
本古語で蛇を意味した
カカから解釈され案山子とは蛇を意味
するとされたのは卓見である(『蛇』
法政大学出版局刊)
右を受けて、私はカカシとは片足=蛇
足・・・・を意味し、しかも、日本古語の
蛇を意味するカカと
はアイヌ語で蛇を意味するkokko
p=カカ・・・・が語源である事実を発見
主張しているのだ
(拙著『月神と蛇信仰』を参照)
 このカカがアイヌ語の女陰を意味す
るkokkaを生み出し・・・・日本語の
女房を意味するカカ
ァの語源になり、母を意味する『オカ
アサン』・・・・御カカ様から来た言葉を
生み出したのである。
 轆輪はチャランパランを言ってい
る、と反対する人もあるだろうが、蛇
が何故、母と関係する
ことになったかと言えば、縄文時代に
母は蛇神と目されていたのだ。
 右は石神(シャクジン)信仰・・・・
シャモジ信仰として日本全国の民俗の
神として残っているの
だ。この信仰はシャクチ信仰として長
野県などで色濃いが、インドにもシャ
クチー信仰として信
仰されている(拙著『石神考』参照)
シャクチーは何を意味するか、は民俗
学の謎であったが、
これがアイヌ語であったのだ。cha
+kut+i・・・・と言うアイヌ語が
シャクチ信仰の語源で
あり、この信仰を解く鍵でもあった。
  chaとはアイヌ語で(口)を意味
し、kutは多くの意味を持つが
(喉)を意味する、iは
代名詞の(それ)を意味する言葉であ
る・・・・チャクチ信仰はインドでは性力
の神とされているの
だ。この信仰は原初、子供を生み出す
(口)の神として性の神であった。こ
の信仰は大地母神と
しての母の女陰信仰であるが、女陰の
口は、伸縮自在の口を持つ蛇の信仰と
二重うつしになった。
日本の土偶にも蛇を頭に乗せたものが
発見されている(長野県藤内16号居
住址発見の土偶)
  右のkut+i=口・・・・が口と言う
日本語の語源でもある。また、cha
チャ、シャ=口・・・・
も日本語に入っているのだ。cha+
par=シャベル・・これが、日本語
の(しゃべる)の語
源である。右のchaもparと言う
言葉も、また、口を意味する二つのア
イヌ語なのである。
  「轆輪はチャランパランを書いてい
る」との俗語も、char+an+p
ar+an・・・・と言
うアイヌ語そのものであったのだ。c
har=口=parで、anとはアイ
ヌ語で(~である)
との意味の言葉なのである。チャラン
パランとは(口である、口である)と
の、まさに、アイヌ
語そのものなのである。しかも、an
こそ日本語(ある)の語源であったの
だ。「借金をチャラ
にする」のチャラもアイヌ語であり
「ペチャクチャ、シャベル」もすべて
アイヌ語の口、口、口
を意味する言葉であった(シャベルの
ベルはparとも言えるが、pera
=さじ、へら、pa
runpe=舌・・を意味するアイヌ語
ともいえる。舌=ベロの語源)
  右を発見した私はインドのシャク
チー性力の信仰をもってアイヌ民族の
一部が日本人のルーツ
となり、一部は長駆ヒマラヤ山脈のレ
プチャ民族となり、インドにまで達し
てチベット語やタミ
ール語にまで混交し、また、一部イン
ドネシアにも移動していると主張して
いるのだ(拙著『月
神と蛇信仰』参照・・近刊)
  現在、私は万葉の難解な枕詞をすべ
てアイヌ語で解明し、発表した(『ア
イヌ語の万葉集』近
刊予定)・・また、日本列島の民俗の
神々が、アイヌ語の神々で、しかも縄
文時代からの月神信仰
の神々であった事実を私は解明した
(『民俗の神々はアイヌ語の神』・・近
刊)
 例えば、侍・・サムライと言う日本語
を私はアイヌ語で解明した。sam+
ray=サムライ・・
である。samは(おそばに)との意
味のアイヌ語で、rayは(死)との
意味のアイヌ語であ
る。サムライは(君のおそばで死ぬ
者)との意味のアイヌ語であったの
だ。この発見で私はショ
ックを受けた。サムライまでアイヌ語
であったからだ・・君主を意味する君も
またアイヌ語である。
ki+min=君である。kiは(光
り)を意味し、minは(肉体)を意
味するアイヌ語なの
だ(君=光る肉体、minは身の語
源)
  アイヌ語は母、お母さんの語源だけ
ではなく、お父さんの語源でもあった
・・・・アイヌ語に母を
示すトトと言う言葉がある。toto
は乳を示すtoから作られた母を示す
アイヌ語である。こ
の言葉は性的変換して日本語となり、
おトト様からお父さまになったのであ
る・・・・また音韻転化
して乳と言う言葉になり、チチ=母・・
から性的変換して、父チチ・・と言う日
本語になっているの
だ(日本語の母はアイヌ語のhopの
複数形のhoppaからきている・・・・
母こそが赤子を作り
出し分離した者だから、分離を意味す
るこのアイヌ語が日本で母を意味する
ようになったのだ・・
・・オフクロサン・・母は古代に梟であっ
た。アイヌ語でも母はhopoと言う
言葉なのである)
  ・・・・横浜で今世紀始め、売春宿を
チャブ屋と言っていたが、この言葉は
アイヌ語の月神を意味
するchupチュプと言う言葉が最近
まで生きていた事実を示しているの
だ。餅つき、望月はア
イヌ語でmu+chi+月・・から来た
言葉であった。mu=詰める、chi
=性器・・・・で満月は
性器を満たして膨らむと古代人に信仰
され、月神は性神であったのだ。この
言葉がチャブ屋にも
生きていたわけである。
  右のごとく、本書は、私にとって、
古代日本語がアイヌ語であった事実を
主張する出発点とな
り、日本人のルーツを発見し、新たな
扉を押し開く記念碑的作品となったの
である。      
      (一九九八年七月七日・・記
す)








        縄文時代の包茎と包茎手術
を意味する言葉・・・・「印地打」につい
て
                (『縄文セックスの
発見』より引用)

 江戸時代に包茎は「皮かつぎ」とか
「皮かむり」「越前」「スッポン」
「スボケ」と言われて
いた。「皮かつぎ」は仮性包茎が亀頭
を露出させた時の形状「越前」は大名
行列で越前の殿様が
槍のさやに熊の毛皮を使用しその様子
から隠語化した。「逢うて死にたい皮
かつぎ....」..包茎
のふんどしかつぎ:力士とセックスを
したいものだ:と願望する遊女の川柳
もある。
 包茎手術を当時、羅割(ラセツ)切
見世と言った。羅せつはマラの割礼、
切見世は寺社などの
店舗を言うが、隠語で、切って亀頭を
見せた事実をしめす。
 縄文時代には、私は包茎手術があっ
たと思う。おそらく包茎手術はツブテ
と言った。ツブテは
chup+te=ツブテというアイヌ語で「月
神がさせる」という意味である。後年
ツブテは河原での石
投げ合戦の石を意味する言葉となっ
た。弥生時代はツブスとも言ったであ
ろう。
 chup+ス=ツプスという言葉は「月神
の鳥」という意味で縄文信仰以来の性
神で破壊神のふくろ
う神を示す。このチュプは月神という
アイヌ語、スは弥生渡来語で鳥を示
す。ツブスは押しつぶ
すことを意味する。縄文時代、弥生時
代には河原で、男や青年たちが年下の
少年たちの包茎を調
べ、石で包茎の包皮を押しつぶし、押
し切ったのである。
 鳥を示すスは古代の明日香、吾妻の
国のアスのスである。このスはウグイ
ス、ホトトギスのス
で鳥を意味する。アスカ、アスマのア
は牛神を意味し、アルファベットのα
である。エジプトで
は牛をアウワ-と言い、セム語ではア
リフと言った、牛の象形文字からαの
文字もできている。
 アスとは牛鳥でふくろうを意味し、
古代の三大破壊神、月、牛、梟神の梟
を示す。明日香の枕
詞は『飛ぶ鳥の』吾妻の枕詞は『鳥が
鳴く』で、私の以上の発見を立証して
いる(月神、牛神、
梟神は古代から肉体、性、破壊の神で
あった。世界の各民族の言語におい
て、この三神のみが否
定詞になっており、馬鹿を意味する言
葉もこの三神からできている)
 後代、石投げ合戦は「印地打ち」と
も呼ばれ、中世の文献に残るが、原初
は縄文時代の日本語
であるアイヌ語で、imu+chi+ウチ=イム
チウチであった。伊牟知と訓まれてい
る。イムとはアイヌ
語で病気(ヒステリー)を意味し、チ
は陰茎を意味する。ウチとは叩くこと
で、日本語の『打つ』
はアイヌ語のuta=うた;「打つ」と言
う意味から転化した言葉である。上記
のイムは日本本州で
「忌む」という言葉に成っている。
「イムチウチ」とは「忌むべき陰茎を
叩いて割礼する」と言
うアイヌ語で縄文語であった。イムチ
こそ縄文アイヌ語で包茎を意味する言
葉なのだ。この印地
打ちは日本諸国で古代から行われ、後
代、石合戦になった(石で傷つける共
通点あり)
 包茎のうちもっとも困る真性包茎
(true phimosis 参照)は性行為に
よって亀頭が露出すると
皮が元に戻らず亀頭の首を包皮が絞め
つけ、ついには亀頭の壊死をもたら
す。このような包茎は
百人、千人に一人ではあるが、石器時
代から、問題であり、各民族はさまざ
まに対処してきた。
ユダヤ人は誕生後すぐ、日本人エジプ
ト人は成人になったときに行ったので
ある。
 エジプトのサッカラのアンクマホー
ルの墓には包茎手術のリリーフが二面
あり、三千年以上も
前のものである。施術者は二つとも掌
大の石器で割礼を施している。

 (注);;石合戦と割礼との関係は
私の発見ではない。折口信夫その他の
民俗学者はこのこと
     を推定してきたが、決め手
がなかった。アイヌ語によって割礼が
原初であることを立
     証したのが私の功績であ
る。

                 
  2001年12月22日   轆
輪眞山







     Poleshifting and origine of
japanese lang (1)

E-mail ; adaptgiken@par.odn.ne.jp



  Recently I made a discovery that
the origine of japanese language
was
 ainulanguage of Ainu minority race
in hokkaido north area of japan.
  By the aid of the astoronomical
archaeology of my commencement I
made
 a discovery that the poll shifting
took place once in 3500years with
short term
 cycles. It have been discovered by
me that ancient Ainu race have been
coming
 from far east of siberia to japan
about 7000 years ago when the pole
shifting
 took place that far east of
siberia changed from 35.N.Lat. to
70.S.Lat.
  And this time in japanese islands
all people died by this
Poleshifting,
 So the root of japanese people
should be Ainu race only.
  This discovery has been described
in my literacy works of japanese
and ainu
 language and of my astronomical
archaeology.



     Poleshifting and the origine
of Japanese lang (2)

          STONEHENGE
   --Ancient astronomical
construction observes sunrise and
sunset in each soltice..
  1972A.D.I made a discovery,
researching in ancient Japanese
stone construction
 that the South Pole before 1500
B.C. was placed to northwest of
Parry Islands
 at Long.145 ~ 146 west, at 79 ~ 81
N. Lat.
  This time, Salisbury, England was
situated at 42.S.Lat.
 and the near-by Pole direction has
the discrepancy about 8 degrees in
angle
 to north west. Now, Salisbury is
placed at about 51 N. Lat. and
northern direction
 has no discrepancy, of course.

 The direction of midsummer sunset
and sunset in the winter solstice
at
 ancient Salisbury should be
computed by the formula such as
follow:

  Formula; Cosα=  -  sin  δ/ cos
ψ
       δ: Sun latitude     ψ ;
Latatude of observing place.

(N; + s; -)
       α; Horizontal direction of
sunrise (sunset).
          (true south = 0      to
east ; +       to west ; - )

  The computation of the direction
in midsummer sunrise (sunset) at
ancient
 Salisbury is as follows;

 Cosα= - sin 24°/ cos42°
δ; (B.C. 2000) is about +24°
                             ψ;
(B.C.2000)of Salisbury is about
42°S.Lat.

 Cosα= - 0.4067 /0.7431 = - 0.547
(sin 24°=0.4067)

(cos 42°=0.7431)

 α= ± 123.2°= ± (90 + 33.2)°

  The winter solstice same
computation (δ = -24°)
        cosα= -0.547 ......α = ±
( 90-33.2°)

  But the earth is not true
globular. So, true direction of
sunrise or
 sunset is not same direction by
computation.
  By reason of it, the direction of
computation on desk must be
corrected
 by data of the present age
observed in each country.

  amended direction such as
follows.

   Sunrise(Sunset) in Summer
Solstice ; ±124°
   Sunrise(Sunset) in winter
Solstice ; ±58°

  Next, Salisbury 51" N. Lat. today
is the question, by similar
computation
and similar amendment that is based
on data of astronomical observation
today
at each Lat.
  The direction of sunrise and
sunset will be deduced as follows.

  Computed direction: 1

   Cosα = - sin ± 23.45°/cos
51°≒ ±0.634


                 α ≒ ±(90 ±
38.6)°

  Real direction of each Soltice
will be as follows.

    Sunrise(Sunset) in Summer
Soltice ; ±130.5°
    Sunrise(Sunset) in winter
Soltice ;  ±52.2°

  Now, we had all the cards. Real
direction of sunrise in ancient
Saliabury
 and real direction in present
Salisbury must be synthesized such
as follows:
 (Chart 1)


   Chart 1 ; A survey map of
Stonehenge quoted from
encysclopedia

  Let's compare above plan and plan
of stonehenge but this time the
centre
of stonehenge should be roughly
placed at tho point of intersection
where
 two lines crossed, one is alined
from north barrow to south barrow;
 another line aligns two station
stones.

  Before about 1500 B.C. an
observer on the centre should have
seen that
 the midsummer sun sets in
approximately over the hele stone
and that
the sun in the winter solstice sets
in approximately over the east
station
 stone and the sun in the summer
soltice rises approximately over
the west
 station stone (this direction has
the discrepancy about 1 - 2
degrees, but
if the centre be amended, there
will be no discrepancy. ----- This
problem
will be directly related to the
important fact that the observer
on the point of centre will be
blindfolded with his eyes by the
stone
 setting consisted of horseshoes of
uprights. this fact will grow
 a refutation to my hypothesis but
this fact may only disclose that
the centre is not a point but a
short line or a bit of area ......
or
that only these stones had been set
being consisted of horsoshoes of
 uprights after 1500 B.C. This time
by stone setter the direction of
 old winter soltice buried in
Salisburry (not a Joke)--- After
all,this
problem should have to be studied
by any archaeologist in the future.

  At present time (1974 A.D.) the
observer who stands on the centre
should have seen that the sun in
the summer solstice rises
approximately
 over the helestone, but this fact
was not the intention of the
helostone
 builder while that was an
unexpected accident for them. The
builder of
helestone at the present place
might have probably intended the
direction
 of the midsummer sunset in 2000
B.C. (or 5000 B.C. ~ l500 B.C.
 42°S.Lat.Salisbury). also, they
had intended to set the helestone
stand at the point  over which the
observer on the centre of north
 barrow observes the sunset in the
vernal equinox and in the autumnal
 equinox in about 2000 B.C.(or 5000
B.C.~1500 B.C.)

--- All above stated, should
demonstrate my hypothesis enough
but
 there is another fact. For
example, what the purpose the south
barrow
 has been built for? The axis of
symmetry of stonehenge itself and
of
 the section adjoining stonehenge
had been made for the purpose to
 point to the important direction.
what is the important direction?
Primarily when stonehenge was
built? .....etc.....

  Perhaps, stonehenge was built
before more than 5000 B.C. in the
 beginning. This time Salisbury was
placed at 23° ancient N.Lat. and
one of the Poles was placed at the
center of China, may be placed
at Long.113.5° east, at 36°20′
N.Lat.

The axis of symmetry of stonehenge
itself and the direction to the
 helestone from the centre had been
pointed to the North Pole in that
time and station stones and two
barrows were the key marks of
the direction to sunrise and sunset
in each soltice and each equinox
 such as  follows.

        Chart 2 txt ; A survey map
of Stonehenge quoted from
encyclopedia


  In the future, this historical
and global hypothesis will be
recognised
 and authorized.

  Rokunowa              November
1975





 縄文語の発見!

* English version of this news
 is after the japanese text.


イザナミ、イザナギは何を意味して
いるか?

  日本の神話で、日本人の祖先だとさ
れているイザナミ、イザナギはどんな
意味を持っているのであろうか?・・・・
右を私はアイヌ語で解明した。
  イザナミはアイヌ語のisa+ne
+min=イザナミである。isaは
完熟を意味する。neは強調詞、
minは肉体を意味する。
  イザナギはアイヌ語のisa+ne
+ki=イザナギである。kiは光り
を意味するアイヌ語であり、ここでは
精神を意味する。例えば『君が代』の
君は右のkiとminを抱合した言葉
でki+min=『光る肉体』と言う
アイヌ語で、家来にとっての主人、支
配者を意味している。ちなみに侍(サ
ムライ)はsam+ray=サムライ
である。samは『側に、横に』と言
うアイヌ語で、rayは『死』を意味
するアイヌ語である。サムライとは主
人である君の横で死ぬべき家来を示す
アイヌ語であった
 ・・・・・・イザナミとは『完熟した肉体
を持つ女』を意味していたのである。
このアイヌ語の完熟した肉体とは、エ
クスタシイを何度でも持つことが出来
る女性の完全に成熟した肉体を意味し
ていたのである。
  イザナギとは『完熟した精神を持つ
男』を意味するアイヌ語で、自己のエ
クスタシイを精神で自由にコントロー
ルすることができる精神とテクを持つ
完璧な男、完全に成熟した精神を意味
する言葉であつた。
  日本語の男と言う言葉はアイヌ語の
o+tok=オトコと言う言葉が語源
である。oは性器を意味し、tokは
『凸起している』と言うアイヌ語であ
った。  オトコは『性器が凸起してい
る者』と言う意味のアイヌ語であっ
た。
  オンナとは日本古語のオミナからき
た言葉でアイヌ語のo+mina=オ
ミナが語源である。oは性器を意味し
、minaは『笑う』を意味するアイ
ヌ語である。結局、オンナとは『性器
が笑っている者』と言う意味のアイヌ
語であったのだ。
  京都で女陰のことをオソソと言う。
このオソソの意味は何か?と聞かれた
日本人は誰も答えられないであろう。
・・・・この問いに答えられる人は世界で
私しかいない。オソソとはアイヌ語の
o+sos+o=オソソなのである。
oは性器を意味する。sosは『皮を
むく』と言う意味のアイヌ語である。
オソソとは『男性性器の包皮をむく女
性性器』を意味する言葉であった。古
代日本男性は仮性包茎の者が多く、こ
のようなアイヌ語で女陰を示したので
あろう。
  このように、意味が不明な日本語を
片っ端からアイヌ語で解明して行き、
私は驚くべき縄文セックスのテクを発
見したのである。上記のoが性器であ
り、sosが皮をむくと言うアイヌ語
であること、その他のアイヌ語は私の
著作にすでにすべて掲載されている・・
・・
book.txt・・を参照・・
・・まそ鏡、喚犬追馬鏡(万葉集)にお
いても右のsosと言うアイヌ語は使
用されている・・・・


 How to made the discovery on
 it !

 Isanaki and Isanami are the
 Gods who are the Ancestry
 of japanese people in old
 myth of ancient japan.
 what is the mean of the
words Isanaki and Isanami?
 This meaning of the words
 are discovered by me by Ainu-
language that Isanami means
 perfect body and Isanaki
 means perfect mind in Ainu-
language.
 In Ainulanguage Isa means
perfect, and Na means enphasis
word and Ki means shinig light,
So Isanaki means the perfect
shining man in spirit.
 Mi means body, So Isanami
 means the perfect ripen body
 woman.
 Many foreign people know
 japaneae language of Samurai
and Kimi. In japanese Kimi
 means emperore because Ki
 means light and Mi means body,
 So Kimi means lighting body.
 The word of Samuray means
 that who died neering by Kimi.
 Sam means neer and Ray means
dead, So Samuray means who
 died neer Empire.
 In japanese words Otoko and
 Onna mean man and woman or
 male and female, but japanese
peaple never know the true
 meaning of Otoko and Onna.
 O means a genital organs and
 tok means projecting in Ainu-
language, So Otoko means
 a genital organs shapes
 projecting and onna speaks
 oldtime in japan omina that
 mina means smile, So omina
 means a genital organs like
 smiling face having no eyes
 but having nose and mouth.
 In old kyouto city japan they
 say pussy as Ososo, but every
 japanese never know why they
 say Ososo as a pussy, In Ainu-
 language sos means peer, So
 Ososo means a genital organs
 peering a penis that should
 be exposing their grans by
 force of a Ososo.
 By above step and analysis,
 I made a discovery of New Sex.






  Book txt
      I'm sorry. this text is
japanese only, because my litaracy
works
     published by japanese
only. 


     好  評  発  売  中 !
 轆  輪 眞  山 』  の  本
          
アダプト技術研究所発行

        ~世界の否定詞と古代月
神信仰~
   『馬  鹿  を  意  味  す  る
方  言  の  謎』
      
200ページ    ¥3000円

    ◎  こ  の  本  の  主  要
な  テ  ー  マ
 発見!・・日本の馬鹿を意味する方
言は、すべて月神と牛神と梟神を意味
する
        言葉から構成されていた!
・・月神、牛、梟は世界各言語の否定
詞。
 解明!・・天文考古学による七千年
前の大異変のみが右を説明することが
でき
         る(大異変=地軸大移動)
 馬鹿・・馬鹿、アホウ、ボケ、ホンジナ
シ、タクラタ、ボンクラはフクロウ神を
意
       味する。
 馬鹿方言・・ダラ、ナンナ、タワケは
月神。アンゴウ、ゴジャッペは牛神を意
味す
           る。
 日本人のルーツ・・シベリアから来
たアイヌ民族である。日本語の起源も
アイ
                 ヌ語であった。
 地軸大移動・・七千年前の大異変に
よって日本列島は全滅無人となりその
後に、
            シベリアからアイヌ民族
が無人の日本列島に渡来した。彼らこ
そ
          が縄文原日本人で日本人
のルーツとなった。


             ~三千五百年周期の極移
動の発見~
        『天  文  考  古  学  と
地  軸  大  移  動』

192ページ  ¥3000円

              ◎  この本の主要な
テーマ
          発端!・・・・明日香村の巨石
が語る地軸大移動
          発見!・・・・ストーン・ヘンジ
も同じ極を示した
          発見!・・・・エジプトの神殿も
同じ極を示していた
          太陽・・・・・・三千五百年前、
太陽は西から昇った
          土偶・・・・遮光器形土偶は地
軸移動後の不具を示す
          第12惑星・・・・メソポタミア
の伝承・・第12惑星は恐怖の大王として
地
                    球に来る!
          立証!・・・・エジプトはかっ
て南緯15度にあったことがパピルスに
書
                 き残されていた!
          熱帯・・・・三千五百年以前の
エジプトは南半球所在の熱帯で河馬が
生
               息していた・・・







                   ~アイヌ語の万葉
集~
                『日  本  人  と
日  本  語  の  起  源  ①』
   
208ページ    ¥2000円

               ◎  この本の主要な
テーマ
          日本語の起源・・・・アイヌ語
こそ縄文日本語で、日本語の起源だ!
          万葉の枕言葉・・・・古い主要
な枕詞はすべてアイヌ語であった
          弥生大陸渡来語・・・・弥生時
代以後朝鮮半島を経由して渡来語が流
入
          アイヌが主流・・・・万葉時代
まで政治文学はアイヌ語が主流
          月神信仰・・・・・・・・縄文時代
の信仰の中心、月神信仰の謎を解く
          鏡、暦、石神・・・・月神信仰
における蛇信仰の謎を解明する
          ぬば玉、浪速・・・・アイヌ語
で解明、月神の盲目、月神の罰。少名
毘
古那はアイヌ語。
          ソイヤ・・・・・・・・・・浅草の神
輿の掛け声はアイヌ語だ!
          あしびき・・・・・・・・片足を意
味し、陰核や男根の痙攣をも意味する
ア
イヌ語
          山・・・・・・・・・・・・・・引き裂か
れた妻、引き裂く女神を意味するアイ
ヌ
語
          チハヤブル神・・・・アイヌ語
で;取り去り、引き裂く性癖の月神
          母、お母さん・・・・アイヌ語
である。ハハ=分離、カカ=女陰
          父、お父さん・・・・アイヌ
語。トト=チチ=乳=母。母が転化し
た言
葉。


                        ◎ロクノワ
シンセンの新しい学説
    大異変・・・・・・・・・・七千年前、地軸
大移動により日本は一時的に八千メー
ト
                 ルの海水の下とな
り無人となった。
    緯度の変化・・・・・・七千年前、地軸
移動により極東シベリヤは緯度三五度
か
                  ら緯度七〇度に変
化した。
   日本人のルーツ・・・・七千年前、極東
シベリヤから無人の日本列島に移住し
                    たアイヌ語を
しゃべる民族。
   日本語の起源・・・・・・縄文時代の原日
本人はアイヌ人、縄文原日本語はアイ
                    ヌ語であった。
   中国、韓国人・・・・・・七千年前に中
国、韓国で人はすべて滅亡し、その後
に
                    西シベリアの民
族が移住した。
   米、その他の植物・・・・・・シベリアが
そのルーツである。
   地軸大移動・・・・・・・・三千五百年短周
期の地軸大移動は七千年ごとに、地球
                    の半分の地域を
一年間数千メートルの海底に沈める。
紀
                    元前千五百年、
紀元前五千年前に地軸大移動が起き
た。


  *  ここで紹介する本は書店では絶
対に売っていません。当方までメール
す
  るか、図書館で読んで下さい(日
本では、自由な学問と研究の発表は取
り
  次ぎ機構と出版社と再販制度に
よって規制されています)
   私の本は最寄りの各市立、区立
図書館にあります、是非ご一読下さ
い。
  (但し、沖縄県、広島県、横浜市
の図書館にはほとんど無いと思いま
す)

            E-mail ;
adaptgiken@par.odn.ne.jp


     ◎  新刊・・・・2001年6月、第一刷発
刊
        ~アイヌ語のヤマト言葉~
    『日本人と日本語の起源  ②』
轆輪眞山著
                                2
00ページ      定価  ¥3000円

   第一章    『アイヌ語のヤマト言葉
Ⅰ』とんぼ、あきつ、そらみつ、とん
ぼ、
              いわばしる、草枕、さ
ねさし~相模、大和、まそ鏡、たこ、
甘南備山、
              青によし奈良、山、
川、ニライカナイ、オモロ草紙、寒
い、春、長谷、
              夏、秋、冬、草枕、旅
;はアイヌ語。チチンプイプイ、エヘ
ンプイプイ、
       チハヤブル神、影もア
イヌ語。オマンコ、オメコはアイヌ
語。
               マタギ、糸、天(ア
マ)はアイヌ語。

  第二章    『アイヌ語とヤマト言葉
Ⅱ』  天、ねもころ、雁、日暮里、会
う、逢う、
              うしろめたさ、シベリ
ア、バイカル湖はアイヌ語。
              稲負鳥は梟神。イザナ
ミ、イザナギ;はアイヌ語。嫐、嬲
(ナブル)
              星は月の子とのアイヌ
語。寒い、川、海、山はアイヌ語。

   第三章    『アイヌ語とヤマト言葉
Ⅲ』  神風、伊勢、八坂、杖、千歳、
              峠、左義長,佐伯、
枷、人、大津、神さび、寒い、やすみ
しし~吾大君、
             うつせみ、あずさゆみ、
磯、浅間、マッチ山、讃岐、ありねよ
              し~対馬、かけまく
も、ゆゆしきかも、言わまくも、あや
にか
              しこき、天照大神;は
アイヌ語。浅間山、浅間神社はアイヌ
語。
        神武天皇はアイヌ語
で自己の勝利を語るアイヌ人。
               小野小町、局、対
馬、讃岐、裳、浅草、良し、黒幕・・は
アイヌ語。


     ・・・以上、万葉時代のヤマト言葉
はほとんどアイヌ語であった。


 * ニュースグループのセックス関
連に、アイヌ語で解明した日本の性的
用語について
  拙著のニュースが投稿されていま
す(alt.sex....で始まるグループを参
照のこと)
    『NEW-SEX!.+ 縄文セックスの発見
!+..』という題名です。




      PS and Origine of jap
lang (3)
         Pole shifting and Temple
of Amon-Ra
      このテキストの日本語版は英文
の後にあります。


  Recently an important book was
published in America concerning the
temple
 of Amon-Ra and the astronomical
archaeology titled "Beyond the
Stonehenge" by
 Gerald.s.Hawkins. In the book he
said that the axis of the temple of
Amon-Ra
 over which the ancient Egyptian
observe sunrise in winter solstice
points to
 about 26.5° from east to
south......

  But by Festival Hall of Thutmose
III, they were blindfolded with
eyes from
 ancient to nowadays.
 So, Gerald s. Hawkins reached a
conclusion that from the centre of
the back
 of the building ( Festival Hall of
Thutmose III ) to old temple of
Ra-hol-ak-tie
 in background of the temple, the
true axis was placed and they
observed sunrise
 in winter solstice over this axis
standing on the centre of the back
of
 Thutmose III building, Or the high
and small temple which are only 20
metres
 long built on the north side of
the Festival Hall of Thutmose Ill
was the another
 observing place and observing
construction.

  But this conclusion is very
doubtful because the high and small
temple of sun
 is only 20 metres long and the
angle of view has too much width
and such angle
 of wide view also takes place on
the true axis of background of the
temple of
 Amon-Ra, So, his doubtful
conclusion must be denied by the
reason of the angle
 of wide view which does not
represent the scientific exactitude
but also by
the reason of great riddle of
building of Festival Hall of
Thutmose III,
 his conclusion must be denied too.

  If the axis of the temple of
Amon-Ra itself has the ancient
direction of
 the sunrise in winter solstice
which points to 26°37′ from east
to south,
 why did not they observe over this
axis and why Thutmose III built the
Festival
 Hall which interfered and
blindfolded with this observation?


  Now, measurement was made for the
direction of the axis of the temple
of
 Amon-Ra on the survey map quoted
from the book "Beyond stonehenge"
 by Gerald.s.Hawkins which was, he
said, the copy of one offered by
the French
 investigation of Egypt in Karnak.
 The direction of the axis of the
temple is at about 24°and this is
not 26°37′.
  In 1972, I made a discovery
through researching into and
considering about
 ancient stone constructions which
might explain that the South Pole
 before 1500 B.C, was placed to
northwest of Parry Islands at Long.
about 145°west,
 at about 80° N. Lat. computed by
the method of spherical
trigonometry and
 astronomical formula.


   As the ancient stone
constructiona of the evidence of
the Pole shifting about
 1500 B.C., I can show as followed:

           1. Stonehenge (England)
           2. Sakawa Stone, etc.
(Japan)
           3. Certain mounds of
Mound Builders (America)


             Now,I am suggesting
the temple of Amon-Ra as the same
construction
 because of the reason as mentioned
above. The discrepancy between the
direction
 of the main axis of that and the
direction of ancient sunrise in
winter
 solstice was about 2.5°(that are
about24° and 26°37′ in Karnak at
same
 latitude as the present) and
therefore there is a great riddle
for the purpose
 of building the Feotival Hall by
Thutmose III.

  In my opinion, Thutmose Ill built
the Festival Hall for the blindfold
 with eyes of observers in an
attempt to observe the sunrise in
summer solstice
 over the axis after the quick
shifting of the Poles, because
before and after
 the accident the direction of that
shifted about 2.5° degrees.

  By my attached computation,
before the Pole shifting in 1500
B.C. the direction
 of sunrise (or sunset) pointed to
about 24° from east to south and
Karnak was
 placed at about 15°S.Lat. and
ancient south had almost no
diacrepancy compared
 with north Pole of present(exact
discrepancy of ancient S Pole and
present N Pole
 is only about 40′that directs
ancient S pole 40′west side of
present N pole.

  If the Pole shifting, as my
hypothesis, had never taken place,
by computation
 in 1500 B.C. the direction of
sunrise in winter solstice should
have had
 to point to about 26°37′ from
east to south just as Gerald s.
Hawkins computed.

   So, the argument whether the
Pole shifting took place in the
reign of
 Thutmose III and the one of the
Poles placed to northwest of Parry
Isl
 before the Pole transfer or the
Poles shifting never took place in
that time
 and after that time will be clear
by such 2.5°discrepancy between
the direction
 of the main axis of the Amon-Ra
temple and the direction of ancient
sunrise
 in winter solstice.

 In 1500 B.C. at 15°S.Lat. The
direction of ancient sunset in
winter solstice
 is 24°4′east to south and that
of ancient sunrise in summer
solstice
 is 24°6′west to north.
 The main axis of The temple of
Amon-Ra over which the ancient
Egyptian observe
 sunrise in summer solstice points
to  24°6′from west to north (In
that time
 they observe sunrise from west
that described by Herodotos in
greek B.C.about 480~425)

    by Rokunowa               1976
August, Tokyo Japan.






         極移動と日本語の
起源(3)
            極移動とエジプト、アモ
ンラー大神

    エジプトのルクソールにカルナッ
クのアモン・ラー大神殿がある。この神
殿も地軸大移動
 を立証するのだ。
  この大神殿は、暦代ファラオに
よって造られ、何重にも重なる石造の
門の集合と説明すれ
 ば、一番よく理解がいくような大神
殿である。
  ナイル川に面する門から、一番最
後の門まで約五百m以上の距離がある
のだから、それは
 石造りの巨大な門であって、丁度、
日本のお稲荷さんの赤鳥居の集合体が
石で出来ており、
 しかも直線的に各門が設置され五百
m以上続いていると思えばよい。
 しかし、現在、この門の集合体は、
途中で巨大な石壁にさえぎられて、直
線でくぐり抜ける
 ことは出来ない。今から三千五百年
ほど前、エジプトに君臨したトトメス
三世が石の壁を造
 ったからである。それまでの伝統に
反し、トトメス三世は、門を造らず、
門をふさぎ、祝祭
 殿を建ててしまったのである。
 それは何故か?
  アモン・ラー大神殿は、その名の通
り(ラ-は太陽の意)太陽神アモンを
祭る神殿であり、
 今日、トトメス三世の祝祭殿の壁の
裏側から、裏の最後の門であるラー・ホ
ル・アクティ神殿
 の門を見とおす線上に冬至の太陽が
地平から昇るといわれている。
  トトメス三世在位の頃、BC一千
五百年頃に冬至の日の出はどの方向か
ら昇るかをここで推
 理してみる。公式を使い、現在北緯
約二五度五〇分のルクソールの緯度を
インプットすると、
 二六度四〇分(東から26°40′
東南の方向)の答えを得る。
  右の方位を実測値にするには、冬
至日の出なので、三分ほど東に近づく
方位としなければ
 ならないので、東から南約二六度三
七分の方位と推定される。夏至日没は
現在の西北方向、 
 現在の西から二六度四〇分西北に計
算では没する。これを補正すると三分
ほど西から離れる
 から、夏至日没方位は現在の西から
二六度四三分西南の方位となる。
  この方位こそ、現在の東西南北そ
のままで現在のルクソールの北半球に
おける冬至日の出
 と夏至日没の方位なのである・・・・こ
の方位は、つまり、もしトトメス三世
の頃、地軸が大移
 動したとしたら、地軸大移動直後の
冬至日の出、夏至日没等の方位を示し
ているのだ。
 では地軸大移動前の冬至日没、夏至
日の出方位はどの方角であったか?
 エジプト、ギゼー(大ピラミッド所
在地)は現在北緯三〇度で、旧緯度南
緯約一九度であり、 
 方位差はほとんどなく、五〇分以下
であった。
  ルクソールもほとんど方位差はな
く、四八分ほど現在の西に偏り、緯度
は一一度ほど低く
 なるから、旧緯度は約一五度であっ
た・・・・・・旧南極(西経約一四五度、北
緯約七九度に位置
 したとして)が南極である場合ルク
ソール(テーベ)の緯度と方位は球面
三角法で計算して
 以下である。

  ①  緯度・・・・南緯約一五度(計算
値は南緯一四度二四分)
    ② 方位は現在の東=西、西=
東、南=北、北=南へと変化した(太
陽は現在の西から昇
   り、現在の東に没した)方位偏
差   は正確には鳥瞰して反時計ま
わりに四〇分ほど 
   のずれがあった。

  その旧冬至日没方位、旧夏至日の
出方位は常識を絶している(現在の西
北西から旧夏至の
 太陽が昇り、現在の東南東に旧冬至
の太陽が没した・・・・これは計算値で各
二四度四五分となる)
  右を現在の東西南北に換算すれば以
下となる・・・・これはあくまで計算値で
あるから、冬至日
 没の実測値は一分ほどこの緯度では
東西の方へ近づくであろう(旧東西線
である)それに方
 位差は四〇分ほど西に偏りがあるか
ら、旧方位を現在の東西南北に換算す
れば、この四〇分
 の方位差も方位を現在の東へ近づけ
ることになる・・・・現在の東から東南東
に二四度四分離れ
 た方位が旧冬至の日没の方位である
・・・・・・夏至の日の出の場合なら、緯度
的に一分ほど急東
 西線から離れる。また、方位差に
よって、旧東西線は現在の東西線より
四〇分ほど鳥瞰して
 逆時計回りに偏差しているから、夏
至日の出は四〇分ほど現在の西に近づ
くことになる。
 ・・・・・・現在の西から西北西に二四度
六分離れた方位である。右の方位を現
在の東西南北に換
 算して図示すれば、旧冬至日没の実
測推定値は現在の東より東南東に二四
度四分の方位と出
 た。この方位が現在の東西南北に換
算されていることに注意されたい。
  旧夏至日の出の場合は現在の西から
西北西に二四度六分と出た。この場合
も現代の東西南北
 に換算して方位を示している。
 地軸大移動の前後にエジプトのルク
ソールでは、様々な変化とともに、旧
冬至日没の方位は
 地軸大移動直後の冬至日の出と比較
して二度三三分も変わってしまったの
である。
 また、旧夏至日の出の場合は、地軸
移動直後の夏至日没の方位二六度四三
分から二四度六分
 を除した二度三七分も絶対値で変化
したことになる。
   では、このどちらがこの大神殿の
眞の方位であったか?二四度四分か、
二四度六分か・・・・
 それは後者だと思う。なぜなら、ア
モン・ラー大神殿の正門が向く方向は西
北西で、地軸大
 移動前の夏至の日の出方向であった
からだ(例えば『王と神とナイル』鈴
木八司著中の測量
 図・・・・・新潮社刊の二一九頁ではだい
たい二四度の方位を示しているが旧夏
至日の出と旧冬至
 日没の方位二分の差はこの資料から
明確にすることは困難である・・・・)
  ともかく、本書の後章で示すごと
くパーリー諸島の極は南極であり、こ
の大神殿は現在の西
 から太陽が昇った時代に造られた遺
跡だと推定できるのだ(ヘロドトスは
『歴史』の中で、か
 って西から太陽が昇ったとエジプト
の神官が彼に語ったと述べている。B
C480~425)
   当時(地軸移動前の)アモン・
ラー大神殿の所在地では現在の西北西
にあるナイル河方面
 から夏至の朝日が昇ったのである。
その時、光線が直射するようにこの神
殿の主軸が設計さ
 れていたのだ。
  地軸大移動によって、農産物から始
まり、気候も大巾に変化し、例えば、
河馬の居たルクソー
 ル(旧テーベ)あたりも河馬の生息
に適さなくなるほどの変化があった
(河馬は現在、熱帯
 地方、緯度十五度以内を限界として
生息すると言われている)
 この地軸大移動の変化は、アモン・
ラー大神殿にとって大変化であった。
   夏至の太陽が昇って来た方向に夏
の太陽が没するようになると言う大変
な変化はもちろん
 のこと、冬至の太陽が没した方向に
冬の太陽が昇って来たのである。
   この時、エジプトの僧侶やファラ
オは、アモン・ラー大神殿が夏至の太
陽日の出方向を指
 す聖なる寺院から、夏至の太陽が没
する方向を主軸とする寺院だと民衆を
欺くことができた
 であろうか?
   地軸大移動前の夏至の日の出方向
は、西北西二四度六分であった。地軸
移動後は夏至の日
 没方向は西北西二六度四三分に変化
したのだ。
  五百mの直線の門の連なりで二度
四五分方位が変わると、末端で約二十
三m余も方位が変
 わるのであるから目じるしは大移動
させねばならない。それは可能であっ
たか?
  アモン・ラー大神殿の門の大集合
が、まさに地軸移動前の夏至日の出方
向を主軸にもってい
 たとすれば、せまい門の幅は四m以
下であるから、誤差範囲は三十分ほど
でしかなかったのだ。
   何十代もの王によって巨石を積
み、形成されたこの大神殿を一代の王
が全部移動させ、修正
 することはできないことであった。
  日光を門に呼び入れる為に、門を
すべて破壊して、二十三m以上もはず
れたところに門を造
 るべきか、それとも門をふさいでし
まうべきか、この二者択一にファラオ
は直面したであろう。
 王は結局、祝祭殿を建てて門をふさ
ぐしかなかったのである。この王こそ
トトメス三世であ
 った。
  この移動が起こったのは、だか
ら、トトメス三世の治世か、その前の
ハトシェプスト女王の
 末期にちがいない(BC一五〇〇年
頃)
  他にも、このBC一千五百年に世
界的な変化と異変、歴史上の混乱があ
ることから私は地軸
 の移動をこの時期に起こったと推定
し、主張しているのである(例えば
モーゼの時代の異変・・
 聖書の証言)
  現在、現在の冬至日の出が、この
トトメス三世の祝祭殿(直線で見通せ
る門の集合を横切り、
 ふさぐ為に造られた建造物)の真裏
の壁から、背後のラー・ホル・アクティ
神殿の門を通して見
 ることが出来ると言われている。こ
の方位は門が沢山集会した、精度を高
めた方位ではないの
 で、視点を少し移動させれば二度強
ほどの誤差修整はわけないことなので
ある。
      
     轆輪眞山著  『天文考古学と地軸
大移動』一九九九年発刊・・・・よりの抜
粋
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