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Started by Rokunowa
Sat, 01 Jun 2002 03:45
PS-Origine of Jap lang.+極移動と日本語の起源!+。。
Author: Rokunowa
Date: Sat, 01 Jun 2002 03:45
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Rokunowa <adaptgiken@par.odn.ne.jp> wrote in message news:... > 三千五百年短周期の地軸大移動の発見と 日本人と日本語のルーツがアイヌであるとの 新説 English version of this NEWS is after japanese txt. > > > 日本語の起源は現在不明だとされて > いる。ところで、私は天文考古学の手 > 法を使い世界の巨石 > 遺跡が地軸大移動と人類の大量死を記 > 録している事実を発見した。その副産 > 物として、日本語の > 起源はアイヌ語であると言う発見がう > まれたのである(拙著『天文考古学と > 地軸大移動』参照) > 右の地軸大移動は三千五百年周期で > 起こり、七千年ごとに地球の半分の土 > 地を無人の荒野にす > る。その為、民族移動が起こり、無人 > の日本列島に、新たに極東シベリアの > チュクチ半島からア > イヌ語をしゃべる人々が移動した。七 > 千年前の縄文日本人の誕生である(拙 > 著『馬鹿を意味する > 方言の謎』「日本人のルーツはどこか > ?」・・近未来に地軸大移動は起こるか > ?・・・・参照) > その後、三千五百年前、地軸大移動 > が再び起こり、気候が大変化した。タ > クラマカン砂漠を中 > 心としてアジア大陸深奥部は砂漠化に > より飢え、その後民族移動の玉突きは > 千数百年にわたり続 > いたのだ。この飢えと気候変化によ > り、大陸から種々の民族が雑多な言語 > を持って朝鮮半島を通 > り、弥生期を形成する大陸諸民族とし > て日本列島に渡来したのである。弥生 > 渡来語の発生であっ > た。この弥生渡来語が、先住民の縄文 > アイヌ人(原日本人)に吸収され、合 > 成されたのが現在の > 日本語であり、万葉語であったのだ。 > > > ◎ 拙著『馬鹿を意味する > 方言の謎』の『あとがき』を引用 > 私の定期的な地軸大移動の発見は、 > 天文考古学的に、現存する三千五百年 > 以上前のエジプトの > 水時計の謎を解決するものであった > ・・・・この水時計は三千五百年以上前の > エジプトの首都テーベ > が緯度一五度であった事実を示してお > り(現在のテーベは北緯約二六度)天 > 文学と考古学上の謎 > とされていたのだ。極移動の約百九十 > 度の移動は、三千五百年前の右テーベ > が南緯一五度に位置 > していたことを示した。これまでの謎 > は、私の発見によって解明されたので > ある。右の極移動の > 発見は三千五百年前の右テーベにおけ > る河馬の存在をも説明していた(河馬 > は熱帯にしか生存し > ない)また、七千年以上前の英国にお > けるテームズ川の川底から出土した河 > 馬とライオンの骨を > 説明し、フランスの河馬の骨の出土を > も説明していたのだ(英仏は当時熱帯 > 地方であった) > その後、私は日本の遮光器形土偶そ > の他の土偶が、地軸大移動直後の地磁 > 気減衰とガンマー線 > 照射によるカタワをかたどった土偶で > あった事実を提唱し、その証拠として > 世界の否定詞が月神、 > 牛、梟だけであるとの川崎真治氏の発 > 見を、その裏ずけとした・・・・日本の馬 > 鹿を意味する方言が、 > ことごとく右の月神、牛、梟で構成さ > れている事実を『馬鹿を意味する方言 > の謎』で解明した。 > 七千年前の地軸大移動が日本列島に住 > む人々を全滅させた必然性を、私は発 > 見し、その後に、シ > ベリア、チュクチ半島からアイヌ民族 > が日本列島に三千キロ以上の移動をし > て日本人のルーツに > なった必然性をも発見している > ・・・・『日本人のルーツはどこか?』参 > 照。 > 本書を書いた後に、私は万葉集の難 > 解な枕詞のことごとくをアイヌ語で解 > 明したのだ・・・・古代 > 出雲王朝を大国主と共同して造ったと > されている少名毘古那は出雲だけでは > なく、関東でも神と > して信仰されているが、アイヌ語の神 > であった。スクナヒコナとは、 > siknak+pikko+ne・・・・ > というアイヌ語なのだ。 > siknak=盲目、pikko= > ビッコ(チンバ)ne=~である・・・・ > との意味を持つアイ > ヌ語である。少名毘古那は、『盲目で > チンバである神』であった。 > ちなみに、少名毘古那の名前を知っ > ていたクエピコもまた、アイヌ語の神 > であった。 > クエとはアイヌ語のクエで、kuw > aクワ=杖、ピコ=pikko=片足 > ・・・・を意味するアイ > ヌ語である。kuwaは今日の日本語 > の鍬の語源となっている。縄文時代に > は杖こそ唯一の農具 > であった。今でも、未開地の焼き畑で > は杖こそが農具であって、杖で穴を大 > 地にあけ、そこに種 > を撒くのだ。 > 民俗学者として著名な吉野裕子氏 > は、クエピコであるカカシのことを日 > 本古語で蛇を意味した > カカから解釈され案山子とは蛇を意味 > するとされたのは卓見である(『蛇』 > 法政大学出版局刊) > 右を受けて、私はカカシとは片足=蛇 > 足・・・・を意味し、しかも、日本古語の > 蛇を意味するカカと > はアイヌ語で蛇を意味するkokko > p=カカ・・・・が語源である事実を発見 > 主張しているのだ > (拙著『月神と蛇信仰』を参照) > このカカがアイヌ語の女陰を意味す > るkokkaを生み出し・・・・日本語の > 女房を意味するカカ > ァの語源になり、母を意味する『オカ > アサン』・・・・御カカ様から来た言葉を > 生み出したのである。 > 轆輪はチャランパランを言ってい > る、と反対する人もあるだろうが、蛇 > が何故、母と関係する > ことになったかと言えば、縄文時代に > 母は蛇神と目されていたのだ。 > 右は石神(シャクジン)信仰・・・・ > シャモジ信仰として日本全国の民俗の > 神として残っているの > だ。この信仰はシャクチ信仰として長 > 野県などで色濃いが、インドにもシャ > クチー信仰として信 > 仰されている(拙著『石神考』参照) > シャクチーは何を意味するか、は民俗 > 学の謎であったが、 > これがアイヌ語であったのだ。cha > +kut+i・・・・と言うアイヌ語が > シャクチ信仰の語源で > あり、この信仰を解く鍵でもあった。 > chaとはアイヌ語で(口)を意味 > し、kutは多くの意味を持つが > (喉)を意味する、iは > 代名詞の(それ)を意味する言葉であ > る・・・・チャクチ信仰はインドでは性力 > の神とされているの > だ。この信仰は原初、子供を生み出す > (口)の神として性の神であった。こ > の信仰は大地母神と > しての母の女陰信仰であるが、女陰の > 口は、伸縮自在の口を持つ蛇の信仰と > 二重うつしになった。 > 日本の土偶にも蛇を頭に乗せたものが > 発見されている(長野県藤内16号居 > 住址発見の土偶) > 右のkut+i=口・・・・が口と言う > 日本語の語源でもある。また、cha > チャ、シャ=口・・・・ > も日本語に入っているのだ。cha+ > par=シャベル・・これが、日本語 > の(しゃべる)の語 > 源である。右のchaもparと言う > 言葉も、また、口を意味する二つのア > イヌ語なのである。 > 「轆輪はチャランパランを書いてい > る」との俗語も、char+an+p > ar+an・・・・と言 > うアイヌ語そのものであったのだ。c > har=口=parで、anとはアイ > ヌ語で(~である) > との意味の言葉なのである。チャラン > パランとは(口である、口である)と > の、まさに、アイヌ > 語そのものなのである。しかも、an > こそ日本語(ある)の語源であったの > だ。「借金をチャラ > にする」のチャラもアイヌ語であり > 「ペチャクチャ、シャベル」もすべて > アイヌ語の口、口、口 > を意味する言葉であった(シャベルの > ベルはparとも言えるが、pera > =さじ、へら、pa > runpe=舌・・を意味するアイヌ語 > ともいえる。舌=ベロの語源) > 右を発見した私はインドのシャク > チー性力の信仰をもってアイヌ民族の > 一部が日本人のルーツ > となり、一部は長駆ヒマラヤ山脈のレ > プチャ民族となり、インドにまで達し > てチベット語やタミ > ール語にまで混交し、また、一部イン > ドネシアにも移動していると主張して > いるのだ(拙著『月 > 神と蛇信仰』参照・・近刊) > 現在、私は万葉の難解な枕詞をすべ > てアイヌ語で解明し、発表した(『ア > イヌ語の万葉集』近 > 刊予定)・・また、日本列島の民俗の > 神々が、アイヌ語の神々で、しかも縄 > 文時代からの月神信仰 > の神々であった事実を私は解明した > (『民俗の神々はアイヌ語の神』・・近 > 刊) > 例えば、侍・・サムライと言う日本語 > を私はアイヌ語で解明した。sam+ > ray=サムライ・・ > である。samは(おそばに)との意 > 味のアイヌ語で、rayは(死)との > 意味のアイヌ語であ > る。サムライは(君のおそばで死ぬ > 者)との意味のアイヌ語であったの > だ。この発見で私はショ > ックを受けた。サムライまでアイヌ語 > であったからだ・・君主を意味する君も > またアイヌ語である。 > ki+min=君である。kiは(光 > り)を意味し、minは(肉体)を意 > 味するアイヌ語なの > だ(君=光る肉体、minは身の語 > 源) > アイヌ語は母、お母さんの語源だけ > ではなく、お父さんの語源でもあった > ・・・・アイヌ語に母を > 示すトトと言う言葉がある。toto > は乳を示すtoから作られた母を示す > アイヌ語である。こ > の言葉は性的変換して日本語となり、 > おトト様からお父さまになったのであ > る・・・・また音韻転化 > して乳と言う言葉になり、チチ=母・・ > から性的変換して、父チチ・・と言う日 > 本語になっているの > だ(日本語の母はアイヌ語のhopの > 複数形のhoppaからきている・・・・ > 母こそが赤子を作り > 出し分離した者だから、分離を意味す > るこのアイヌ語が日本で母を意味する > ようになったのだ・・ > ・・オフクロサン・・母は古代に梟であっ > た。アイヌ語でも母はhopoと言う > 言葉なのである) > ・・・・横浜で今世紀始め、売春宿を > チャブ屋と言っていたが、この言葉は > アイヌ語の月神を意味 > するchupチュプと言う言葉が最近 > まで生きていた事実を示しているの > だ。餅つき、望月はア > イヌ語でmu+chi+月・・から来た > 言葉であった。mu=詰める、chi > =性器・・・・で満月は > 性器を満たして膨らむと古代人に信仰 > され、月神は性神であったのだ。この > 言葉がチャブ屋にも > 生きていたわけである。 > 右のごとく、本書は、私にとって、 > 古代日本語がアイヌ語であった事実を > 主張する出発点とな > り、日本人のルーツを発見し、新たな > 扉を押し開く記念碑的作品となったの > である。 > (一九九八年七月七日・・記 > す) > > > > > > > > > 縄文時代の包茎と包茎手術 > を意味する言葉・・・・「印地打」につい > て > (『縄文セックスの > 発見』より引用) > > 江戸時代に包茎は「皮かつぎ」とか > 「皮かむり」「越前」「スッポン」 > 「スボケ」と言われて > いた。「皮かつぎ」は仮性包茎が亀頭 > を露出させた時の形状「越前」は大名 > 行列で越前の殿様が > 槍のさやに熊の毛皮を使用しその様子 > から隠語化した。「逢うて死にたい皮 > かつぎ....」..包茎 > のふんどしかつぎ:力士とセックスを > したいものだ:と願望する遊女の川柳 > もある。 > 包茎手術を当時、羅割(ラセツ)切 > 見世と言った。羅せつはマラの割礼、 > 切見世は寺社などの > 店舗を言うが、隠語で、切って亀頭を > 見せた事実をしめす。 > 縄文時代には、私は包茎手術があっ > たと思う。おそらく包茎手術はツブテ > と言った。ツブテは > chup+te=ツブテというアイヌ語で「月 > 神がさせる」という意味である。後年 > ツブテは河原での石 > 投げ合戦の石を意味する言葉となっ > た。弥生時代はツブスとも言ったであ > ろう。 > chup+ス=ツプスという言葉は「月神 > の鳥」という意味で縄文信仰以来の性 > 神で破壊神のふくろ > う神を示す。このチュプは月神という > アイヌ語、スは弥生渡来語で鳥を示 > す。ツブスは押しつぶ > すことを意味する。縄文時代、弥生時 > 代には河原で、男や青年たちが年下の > 少年たちの包茎を調 > べ、石で包茎の包皮を押しつぶし、押 > し切ったのである。 > 鳥を示すスは古代の明日香、吾妻の > 国のアスのスである。このスはウグイ > ス、ホトトギスのス > で鳥を意味する。アスカ、アスマのア > は牛神を意味し、アルファベットのα > である。エジプトで > は牛をアウワ-と言い、セム語ではア > リフと言った、牛の象形文字からαの > 文字もできている。 > アスとは牛鳥でふくろうを意味し、 > 古代の三大破壊神、月、牛、梟神の梟 > を示す。明日香の枕 > 詞は『飛ぶ鳥の』吾妻の枕詞は『鳥が > 鳴く』で、私の以上の発見を立証して > いる(月神、牛神、 > 梟神は古代から肉体、性、破壊の神で > あった。世界の各民族の言語におい > て、この三神のみが否 > 定詞になっており、馬鹿を意味する言 > 葉もこの三神からできている) > 後代、石投げ合戦は「印地打ち」と > も呼ばれ、中世の文献に残るが、原初 > は縄文時代の日本語 > であるアイヌ語で、imu+chi+ウチ=イム > チウチであった。伊牟知と訓まれてい > る。イムとはアイヌ > 語で病気(ヒステリー)を意味し、チ > は陰茎を意味する。ウチとは叩くこと > で、日本語の『打つ』 > はアイヌ語のuta=うた;「打つ」と言 > う意味から転化した言葉である。上記 > のイムは日本本州で > 「忌む」という言葉に成っている。 > 「イムチウチ」とは「忌むべき陰茎を > 叩いて割礼する」と言 > うアイヌ語で縄文語であった。イムチ > こそ縄文アイヌ語で包茎を意味する言 > 葉なのだ。この印地 > 打ちは日本諸国で古代から行われ、後 > 代、石合戦になった(石で傷つける共 > 通点あり) > 包茎のうちもっとも困る真性包茎 > (true phimosis 参照)は性行為に > よって亀頭が露出すると > 皮が元に戻らず亀頭の首を包皮が絞め > つけ、ついには亀頭の壊死をもたら > す。このような包茎は > 百人、千人に一人ではあるが、石器時 > 代から、問題であり、各民族はさまざ > まに対処してきた。 > ユダヤ人は誕生後すぐ、日本人エジプ > ト人は成人になったときに行ったので > ある。 > エジプトのサッカラのアンクマホー > ルの墓には包茎手術のリリーフが二面 > あり、三千年以上も > 前のものである。施術者は二つとも掌 > 大の石器で割礼を施している。 > > (注);;石合戦と割礼との関係は > 私の発見ではない。折口信夫その他の > 民俗学者はこのこと > を推定してきたが、決め手 > がなかった。アイヌ語によって割礼が > 原初であることを立 > 証したのが私の功績であ > る。 > > > 2001年12月22日 轆 > 輪眞山 > > > > > > > > Poleshifting and origine of > japanese lang (1) > > E-mail ; adaptgiken@par.odn.ne.jp > > > > Recently I made a discovery that > the origine of japanese language > was > ainulanguage of Ainu minority race > in hokkaido north area of japan. > By the aid of the astoronomical > archaeology of my commencement I > made > a discovery that the poll shifting > took place once in 3500years with > short term > cycles. It have been discovered by > me that ancient Ainu race have been > coming > from far east of siberia to japan > about 7000 years ago when the pole > shifting > took place that far east of > siberia changed from 35.N.Lat. to > 70.S.Lat. > And this time in japanese islands > all people died by this > Poleshifting, > So the root of japanese people > should be Ainu race only. > This discovery has been described > in my literacy works of japanese > and ainu > language and of my astronomical > archaeology. > > > > Poleshifting and the origine > of Japanese lang (2) > > STONEHENGE > --Ancient astronomical > construction observes sunrise and > sunset in each soltice.. > 1972A.D.I made a discovery, > researching in ancient Japanese > stone construction > that the South Pole before 1500 > B.C. was placed to northwest of > Parry Islands > at Long.145 ~ 146 west, at 79 ~ 81 > N. Lat. > This time, Salisbury, England was > situated at 42.S.Lat. > and the near-by Pole direction has > the discrepancy about 8 degrees in > angle > to north west. Now, Salisbury is > placed at about 51 N. Lat. and > northern direction > has no discrepancy, of course. > > The direction of midsummer sunset > and sunset in the winter solstice > at > ancient Salisbury should be > computed by the formula such as > follow: > > Formula; Cosα= - sin δ/ cos > ψ > δ: Sun latitude ψ ; > Latatude of observing place. > > (N; + s; -) > α; Horizontal direction of > sunrise (sunset). > (true south = 0 to > east ; + to west ; - ) > > The computation of the direction > in midsummer sunrise (sunset) at > ancient > Salisbury is as follows; > > Cosα= - sin 24°/ cos42° > δ; (B.C. 2000) is about +24° > ψ; > (B.C.2000)of Salisbury is about > 42°S.Lat. > > Cosα= - 0.4067 /0.7431 = - 0.547 > (sin 24°=0.4067) > > (cos 42°=0.7431) > > α= ± 123.2°= ± (90 + 33.2)° > > The winter solstice same > computation (δ = -24°) > cosα= -0.547 ......α = ± > ( 90-33.2°) > > But the earth is not true > globular. So, true direction of > sunrise or > sunset is not same direction by > computation. > By reason of it, the direction of > computation on desk must be > corrected > by data of the present age > observed in each country. > > amended direction such as > follows. > > Sunrise(Sunset) in Summer > Solstice ; ±124° > Sunrise(Sunset) in winter > Solstice ; ±58° > > Next, Salisbury 51" N. Lat. today > is the question, by similar > computation > and similar amendment that is based > on data of astronomical observation > today > at each Lat. > The direction of sunrise and > sunset will be deduced as follows. > > Computed direction: 1 > > Cosα = - sin ± 23.45°/cos > 51°≒ ±0.634 > > > α ≒ ±(90 ± > 38.6)° > > Real direction of each Soltice > will be as follows. > > Sunrise(Sunset) in Summer > Soltice ; ±130.5° > Sunrise(Sunset) in winter > Soltice ; ±52.2° > > Now, we had all the cards. Real > direction of sunrise in ancient > Saliabury > and real direction in present > Salisbury must be synthesized such > as follows: > (Chart 1) > > > Chart 1 ; A survey map of > Stonehenge quoted from > encysclopedia > > Let's compare above plan and plan > of stonehenge but this time the > centre > of stonehenge should be roughly > placed at tho point of intersection > where > two lines crossed, one is alined > from north barrow to south barrow; > another line aligns two station > stones. > > Before about 1500 B.C. an > observer on the centre should have > seen that > the midsummer sun sets in > approximately over the hele stone > and that > the sun in the winter solstice sets > in approximately over the east > station > stone and the sun in the summer > soltice rises approximately over > the west > station stone (this direction has > the discrepancy about 1 - 2 > degrees, but > if the centre be amended, there > will be no discrepancy. ----- This > problem > will be directly related to the > important fact that the observer > on the point of centre will be > blindfolded with his eyes by the > stone > setting consisted of horseshoes of > uprights. this fact will grow > a refutation to my hypothesis but > this fact may only disclose that > the centre is not a point but a > short line or a bit of area ...... > or > that only these stones had been set > being consisted of horsoshoes of > uprights after 1500 B.C. This time > by stone setter the direction of > old winter soltice buried in > Salisburry (not a Joke)--- After > all,this > problem should have to be studied > by any archaeologist in the future. > > At present time (1974 A.D.) the > observer who stands on the centre > should have seen that the sun in > the summer solstice rises > approximately > over the helestone, but this fact > was not the intention of the > helostone > builder while that was an > unexpected accident for them. The > builder of > helestone at the present place > might have probably intended the > direction > of the midsummer sunset in 2000 > B.C. (or 5000 B.C. ~ l500 B.C. > 42°S.Lat.Salisbury). also, they > had intended to set the helestone > stand at the point over which the > observer on the centre of north > barrow observes the sunset in the > vernal equinox and in the autumnal > equinox in about 2000 B.C.(or 5000 > B.C.~1500 B.C.) > > --- All above stated, should > demonstrate my hypothesis enough > but > there is another fact. For > example, what the purpose the south > barrow > has been built for? The axis of > symmetry of stonehenge itself and > of > the section adjoining stonehenge > had been made for the purpose to > point to the important direction. > what is the important direction? > Primarily when stonehenge was > built? .....etc..... > > Perhaps, stonehenge was built > before more than 5000 B.C. in the > beginning. This time Salisbury was > placed at 23° ancient N.Lat. and > one of the Poles was placed at the > center of China, may be placed > at Long.113.5° east, at 36°20′ > N.Lat. > > The axis of symmetry of stonehenge > itself and the direction to the > helestone from the centre had been > pointed to the North Pole in that > time and station stones and two > barrows were the key marks of > the direction to sunrise and sunset > in each soltice and each equinox > such as follows. > > Chart 2 txt ; A survey map > of Stonehenge quoted from > encyclopedia > > > In the future, this historical > and global hypothesis will be > recognised > and authorized. > > Rokunowa November > 1975 > > > > > > 縄文語の発見! > > * English version of this news > is after the japanese text. > > > イザナミ、イザナギは何を意味して > いるか? > > 日本の神話で、日本人の祖先だとさ > れているイザナミ、イザナギはどんな > 意味を持っているのであろうか?・・・・ > 右を私はアイヌ語で解明した。 > イザナミはアイヌ語のisa+ne > +min=イザナミである。isaは > 完熟を意味する。neは強調詞、 > minは肉体を意味する。 > イザナギはアイヌ語のisa+ne > +ki=イザナギである。kiは光り > を意味するアイヌ語であり、ここでは > 精神を意味する。例えば『君が代』の > 君は右のkiとminを抱合した言葉 > でki+min=『光る肉体』と言う > アイヌ語で、家来にとっての主人、支 > 配者を意味している。ちなみに侍(サ > ムライ)はsam+ray=サムライ > である。samは『側に、横に』と言 > うアイヌ語で、rayは『死』を意味 > するアイヌ語である。サムライとは主 > 人である君の横で死ぬべき家来を示す > アイヌ語であった > ・・・・・・イザナミとは『完熟した肉体 > を持つ女』を意味していたのである。 > このアイヌ語の完熟した肉体とは、エ > クスタシイを何度でも持つことが出来 > る女性の完全に成熟した肉体を意味し > ていたのである。 > イザナギとは『完熟した精神を持つ > 男』を意味するアイヌ語で、自己のエ > クスタシイを精神で自由にコントロー > ルすることができる精神とテクを持つ > 完璧な男、完全に成熟した精神を意味 > する言葉であつた。 > 日本語の男と言う言葉はアイヌ語の > o+tok=オトコと言う言葉が語源 > である。oは性器を意味し、tokは > 『凸起している』と言うアイヌ語であ > った。 オトコは『性器が凸起してい > る者』と言う意味のアイヌ語であっ > た。 > オンナとは日本古語のオミナからき > た言葉でアイヌ語のo+mina=オ > ミナが語源である。oは性器を意味し > 、minaは『笑う』を意味するアイ > ヌ語である。結局、オンナとは『性器 > が笑っている者』と言う意味のアイヌ > 語であったのだ。 > 京都で女陰のことをオソソと言う。 > このオソソの意味は何か?と聞かれた > 日本人は誰も答えられないであろう。 > ・・・・この問いに答えられる人は世界で > 私しかいない。オソソとはアイヌ語の > o+sos+o=オソソなのである。 > oは性器を意味する。sosは『皮を > むく』と言う意味のアイヌ語である。 > オソソとは『男性性器の包皮をむく女 > 性性器』を意味する言葉であった。古 > 代日本男性は仮性包茎の者が多く、こ > のようなアイヌ語で女陰を示したので > あろう。 > このように、意味が不明な日本語を > 片っ端からアイヌ語で解明して行き、 > 私は驚くべき縄文セックスのテクを発 > 見したのである。上記のoが性器であ > り、sosが皮をむくと言うアイヌ語 > であること、その他のアイヌ語は私の > 著作にすでにすべて掲載されている・・ > ・・ > book.txt・・を参照・・ > ・・まそ鏡、喚犬追馬鏡(万葉集)にお > いても右のsosと言うアイヌ語は使 > 用されている・・・・ > > > How to made the discovery on > it ! > > Isanaki and Isanami are the > Gods who are the Ancestry > of japanese people in old > myth of ancient japan. > what is the mean of the > words Isanaki and Isanami? > This meaning of the words > are discovered by me by Ainu- > language that Isanami means > perfect body and Isanaki > means perfect mind in Ainu- > language. > In Ainulanguage Isa means > perfect, and Na means enphasis > word and Ki means shinig light, > So Isanaki means the perfect > shining man in spirit. > Mi means body, So Isanami > means the perfect ripen body > woman. > Many foreign people know > japaneae language of Samurai > and Kimi. In japanese Kimi > means emperore because Ki > means light and Mi means body, > So Kimi means lighting body. > The word of Samuray means > that who died neering by Kimi. > Sam means neer and Ray means > dead, So Samuray means who > died neer Empire. > In japanese words Otoko and > Onna mean man and woman or > male and female, but japanese > peaple never know the true > meaning of Otoko and Onna. > O means a genital organs and > tok means projecting in Ainu- > language, So Otoko means > a genital organs shapes > projecting and onna speaks > oldtime in japan omina that > mina means smile, So omina > means a genital organs like > smiling face having no eyes > but having nose and mouth. > In old kyouto city japan they > say pussy as Ososo, but every > japanese never know why they > say Ososo as a pussy, In Ainu- > language sos means peer, So > Ososo means a genital organs > peering a penis that should > be exposing their grans by > force of a Ososo. > By above step and analysis, > I made a discovery of New Sex. > > > > > > > Book txt > I'm sorry. this text is > japanese only, because my litaracy > works > published by japanese > only. > > > 好 評 発 売 中 ! > 轆 輪 眞 山 』 の 本 > > アダプト技術研究所発行 > > ~世界の否定詞と古代月 > 神信仰~ > 『馬 鹿 を 意 味 す る > 方 言 の 謎』 > > 200ページ ¥3000円 > > ◎ こ の 本 の 主 要 > な テ ー マ > 発見!・・日本の馬鹿を意味する方 > 言は、すべて月神と牛神と梟神を意味 > する > 言葉から構成されていた! > ・・月神、牛、梟は世界各言語の否定 > 詞。 > 解明!・・天文考古学による七千年 > 前の大異変のみが右を説明することが > でき > る(大異変=地軸大移動) > 馬鹿・・馬鹿、アホウ、ボケ、ホンジナ > シ、タクラタ、ボンクラはフクロウ神を > 意 > 味する。 > 馬鹿方言・・ダラ、ナンナ、タワケは > 月神。アンゴウ、ゴジャッペは牛神を意 > 味す > る。 > 日本人のルーツ・・シベリアから来 > たアイヌ民族である。日本語の起源も > アイ > ヌ語であった。 > 地軸大移動・・七千年前の大異変に > よって日本列島は全滅無人となりその > 後に、 > シベリアからアイヌ民族 > が無人の日本列島に渡来した。彼らこ > そ > が縄文原日本人で日本人 > のルーツとなった。 > > > ~三千五百年周期の極移 > 動の発見~ > 『天 文 考 古 学 と > 地 軸 大 移 動』 > > 192ページ ¥3000円 > > ◎ この本の主要な > テーマ > 発端!・・・・明日香村の巨石 > が語る地軸大移動 > 発見!・・・・ストーン・ヘンジ > も同じ極を示した > 発見!・・・・エジプトの神殿も > 同じ極を示していた > 太陽・・・・・・三千五百年前、 > 太陽は西から昇った > 土偶・・・・遮光器形土偶は地 > 軸移動後の不具を示す > 第12惑星・・・・メソポタミア > の伝承・・第12惑星は恐怖の大王として > 地 > 球に来る! > 立証!・・・・エジプトはかっ > て南緯15度にあったことがパピルスに > 書 > き残されていた! > 熱帯・・・・三千五百年以前の > エジプトは南半球所在の熱帯で河馬が > 生 > 息していた・・・ > > > > > > > > ~アイヌ語の万葉 > 集~ > 『日 本 人 と > 日 本 語 の 起 源 ①』 > > 208ページ ¥2000円 > > ◎ この本の主要な > テーマ > 日本語の起源・・・・アイヌ語 > こそ縄文日本語で、日本語の起源だ! > 万葉の枕言葉・・・・古い主要 > な枕詞はすべてアイヌ語であった > 弥生大陸渡来語・・・・弥生時 > 代以後朝鮮半島を経由して渡来語が流 > 入 > アイヌが主流・・・・万葉時代 > まで政治文学はアイヌ語が主流 > 月神信仰・・・・・・・・縄文時代 > の信仰の中心、月神信仰の謎を解く > 鏡、暦、石神・・・・月神信仰 > における蛇信仰の謎を解明する > ぬば玉、浪速・・・・アイヌ語 > で解明、月神の盲目、月神の罰。少名 > 毘 > 古那はアイヌ語。 > ソイヤ・・・・・・・・・・浅草の神 > 輿の掛け声はアイヌ語だ! > あしびき・・・・・・・・片足を意 > 味し、陰核や男根の痙攣をも意味する > ア > イヌ語 > 山・・・・・・・・・・・・・・引き裂か > れた妻、引き裂く女神を意味するアイ > ヌ > 語 > チハヤブル神・・・・アイヌ語 > で;取り去り、引き裂く性癖の月神 > 母、お母さん・・・・アイヌ語 > である。ハハ=分離、カカ=女陰 > 父、お父さん・・・・アイヌ > 語。トト=チチ=乳=母。母が転化し > た言 > 葉。 > > > ◎ロクノワ > シンセンの新しい学説 > 大異変・・・・・・・・・・七千年前、地軸 > 大移動により日本は一時的に八千メー > ト > ルの海水の下とな > り無人となった。 > 緯度の変化・・・・・・七千年前、地軸 > 移動により極東シベリヤは緯度三五度 > か > ら緯度七〇度に変 > 化した。 > 日本人のルーツ・・・・七千年前、極東 > シベリヤから無人の日本列島に移住し > たアイヌ語を > しゃべる民族。 > 日本語の起源・・・・・・縄文時代の原日 > 本人はアイヌ人、縄文原日本語はアイ > ヌ語であった。 > 中国、韓国人・・・・・・七千年前に中 > 国、韓国で人はすべて滅亡し、その後 > に > 西シベリアの民 > 族が移住した。 > 米、その他の植物・・・・・・シベリアが > そのルーツである。 > 地軸大移動・・・・・・・・三千五百年短周 > 期の地軸大移動は七千年ごとに、地球 > の半分の地域を > 一年間数千メートルの海底に沈める。 > 紀 > 元前千五百年、 > 紀元前五千年前に地軸大移動が起き > た。 > > > * ここで紹介する本は書店では絶 > 対に売っていません。当方までメール > す > るか、図書館で読んで下さい(日 > 本では、自由な学問と研究の発表は取 > り > 次ぎ機構と出版社と再販制度に > よって規制されています) > 私の本は最寄りの各市立、区立 > 図書館にあります、是非ご一読下さ > い。 > (但し、沖縄県、広島県、横浜市 > の図書館にはほとんど無いと思いま > す) > > E-mail ; > adaptgiken@par.odn.ne.jp > > > ◎ 新刊・・・・2001年6月、第一刷発 > 刊 > ~アイヌ語のヤマト言葉~ > 『日本人と日本語の起源 ②』 > 轆輪眞山著 > 2 > 00ページ 定価 ¥3000円 > > 第一章 『アイヌ語のヤマト言葉 > Ⅰ』とんぼ、あきつ、そらみつ、とん > ぼ、 > いわばしる、草枕、さ > ねさし~相模、大和、まそ鏡、たこ、 > 甘南備山、 > 青によし奈良、山、 > 川、ニライカナイ、オモロ草紙、寒 > い、春、長谷、 > 夏、秋、冬、草枕、旅 > ;はアイヌ語。チチンプイプイ、エヘ > ンプイプイ、 > チハヤブル神、影もア > イヌ語。オマンコ、オメコはアイヌ > 語。 > マタギ、糸、天(ア > マ)はアイヌ語。 > > 第二章 『アイヌ語とヤマト言葉 > Ⅱ』 天、ねもころ、雁、日暮里、会 > う、逢う、 > うしろめたさ、シベリ > ア、バイカル湖はアイヌ語。 > 稲負鳥は梟神。イザナ > ミ、イザナギ;はアイヌ語。嫐、嬲 > (ナブル) > 星は月の子とのアイヌ > 語。寒い、川、海、山はアイヌ語。 > > 第三章 『アイヌ語とヤマト言葉 > Ⅲ』 神風、伊勢、八坂、杖、千歳、 > 峠、左義長,佐伯、 > 枷、人、大津、神さび、寒い、やすみ > しし~吾大君、 > うつせみ、あずさゆみ、 > 磯、浅間、マッチ山、讃岐、ありねよ > し~対馬、かけまく > も、ゆゆしきかも、言わまくも、あや > にか > しこき、天照大神;は > アイヌ語。浅間山、浅間神社はアイヌ > 語。 > 神武天皇はアイヌ語 > で自己の勝利を語るアイヌ人。 > 小野小町、局、対 > 馬、讃岐、裳、浅草、良し、黒幕・・は > アイヌ語。 > > > ・・・以上、万葉時代のヤマト言葉 > はほとんどアイヌ語であった。 > > > * ニュースグループのセックス関 > 連に、アイヌ語で解明した日本の性的 > 用語について > 拙著のニュースが投稿されていま > す(alt.sex....で始まるグループを参 > 照のこと) > 『NEW-SEX!.+ 縄文セックスの発見 > !+..』という題名です。 > > > > > PS and Origine of jap > lang (3) > Pole shifting and Temple > of Amon-Ra > このテキストの日本語版は英文 > の後にあります。 > > > Recently an important book was > published in America concerning the > temple > of Amon-Ra and the astronomical > archaeology titled "Beyond the > Stonehenge" by > Gerald.s.Hawkins. In the book he > said that the axis of the temple of > Amon-Ra > over which the ancient Egyptian > observe sunrise in winter solstice > points to > about 26.5° from east to > south...... > > But by Festival Hall of Thutmose > III, they were blindfolded with > eyes from > ancient to nowadays. > So, Gerald s. Hawkins reached a > conclusion that from the centre of > the back > of the building ( Festival Hall of > Thutmose III ) to old temple of > Ra-hol-ak-tie > in background of the temple, the > true axis was placed and they > observed sunrise > in winter solstice over this axis > standing on the centre of the back > of > Thutmose III building, Or the high > and small temple which are only 20 > metres > long built on the north side of > the Festival Hall of Thutmose Ill > was the another > observing place and observing > construction. > > But this conclusion is very > doubtful because the high and small > temple of sun > is only 20 metres long and the > angle of view has too much width > and such angle > of wide view also takes place on > the true axis of background of the > temple of > Amon-Ra, So, his doubtful > conclusion must be denied by the > reason of the angle > of wide view which does not > represent the scientific exactitude > but also by > the reason of great riddle of > building of Festival Hall of > Thutmose III, > his conclusion must be denied too. > > If the axis of the temple of > Amon-Ra itself has the ancient > direction of > the sunrise in winter solstice > which points to 26°37′ from east > to south, > why did not they observe over this > axis and why Thutmose III built the > Festival > Hall which interfered and > blindfolded with this observation? > > > Now, measurement was made for the > direction of the axis of the temple > of > Amon-Ra on the survey map quoted > from the book "Beyond stonehenge" > by Gerald.s.Hawkins which was, he > said, the copy of one offered by > the French > investigation of Egypt in Karnak. > The direction of the axis of the > temple is at about 24°and this is > not 26°37′. > In 1972, I made a discovery > through researching into and > considering about > ancient stone constructions which > might explain that the South Pole > before 1500 B.C, was placed to > northwest of Parry Islands at Long. > about 145°west, > at about 80° N. Lat. computed by > the method of spherical > trigonometry and > astronomical formula. > > > As the ancient stone > constructiona of the evidence of > the Pole shifting about > 1500 B.C., I can show as followed: > > 1. Stonehenge (England) > 2. Sakawa Stone, etc. > (Japan) > 3. Certain mounds of > Mound Builders (America) > > > Now,I am suggesting > the temple of Amon-Ra as the same > construction > because of the reason as mentioned > above. The discrepancy between the > direction > of the main axis of that and the > direction of ancient sunrise in > winter > solstice was about 2.5°(that are > about24° and 26°37′ in Karnak at > same > latitude as the present) and > therefore there is a great riddle > for the purpose > of building the Feotival Hall by > Thutmose III. > > In my opinion, Thutmose Ill built > the Festival Hall for the blindfold > with eyes of observers in an > attempt to observe the sunrise in > summer solstice > over the axis after the quick > shifting of the Poles, because > before and after > the accident the direction of that > shifted about 2.5° degrees. > > By my attached computation, > before the Pole shifting in 1500 > B.C. the direction > of sunrise (or sunset) pointed to > about 24° from east to south and > Karnak was > placed at about 15°S.Lat. and > ancient south had almost no > diacrepancy compared > with north Pole of present(exact > discrepancy of ancient S Pole and > present N Pole > is only about 40′that directs > ancient S pole 40′west side of > present N pole. > > If the Pole shifting, as my > hypothesis, had never taken place, > by computation > in 1500 B.C. the direction of > sunrise in winter solstice should > have had > to point to about 26°37′ from > east to south just as Gerald s. > Hawkins computed. > > So, the argument whether the > Pole shifting took place in the > reign of > Thutmose III and the one of the > Poles placed to northwest of Parry > Isl > before the Pole transfer or the > Poles shifting never took place in > that time > and after that time will be clear > by such 2.5°discrepancy between > the direction > of the main axis of the Amon-Ra > temple and the direction of ancient > sunrise > in winter solstice. > > In 1500 B.C. at 15°S.Lat. The > direction of ancient sunset in > winter solstice > is 24°4′east to south and that > of ancient sunrise in summer > solstice > is 24°6′west to north. > The main axis of The temple of > Amon-Ra over which the ancient > Egyptian observe > sunrise in summer solstice points > to 24°6′from west to north (In > that time > they observe sunrise from west > that described by Herodotos in > greek B.C.about 480~425) > > by Rokunowa 1976 > August, Tokyo Japan. > > > > > > > 極移動と日本語の > 起源(3) > 極移動とエジプト、アモ > ンラー大神 > > エジプトのルクソールにカルナッ > クのアモン・ラー大神殿がある。この神 > 殿も地軸大移動 > を立証するのだ。 > この大神殿は、暦代ファラオに > よって造られ、何重にも重なる石造の > 門の集合と説明すれ > ば、一番よく理解がいくような大神 > 殿である。 > ナイル川に面する門から、一番最 > 後の門まで約五百m以上の距離がある > のだから、それは > 石造りの巨大な門であって、丁度、 > 日本のお稲荷さんの赤鳥居の集合体が > 石で出来ており、 > しかも直線的に各門が設置され五百 > m以上続いていると思えばよい。 > しかし、現在、この門の集合体は、 > 途中で巨大な石壁にさえぎられて、直 > 線でくぐり抜ける > ことは出来ない。今から三千五百年 > ほど前、エジプトに君臨したトトメス > 三世が石の壁を造 > ったからである。それまでの伝統に > 反し、トトメス三世は、門を造らず、 > 門をふさぎ、祝祭 > 殿を建ててしまったのである。 > それは何故か? > アモン・ラー大神殿は、その名の通 > り(ラ-は太陽の意)太陽神アモンを > 祭る神殿であり、 > 今日、トトメス三世の祝祭殿の壁の > 裏側から、裏の最後の門であるラー・ホ > ル・アクティ神殿 > の門を見とおす線上に冬至の太陽が > 地平から昇るといわれている。 > トトメス三世在位の頃、BC一千 > 五百年頃に冬至の日の出はどの方向か > ら昇るかをここで推 > 理してみる。公式を使い、現在北緯 > 約二五度五〇分のルクソールの緯度を > インプットすると、 > 二六度四〇分(東から26°40′ > 東南の方向)の答えを得る。 > 右の方位を実測値にするには、冬 > 至日の出なので、三分ほど東に近づく > 方位としなければ > ならないので、東から南約二六度三 > 七分の方位と推定される。夏至日没は > 現在の西北方向、 > 現在の西から二六度四〇分西北に計 > 算では没する。これを補正すると三分 > ほど西から離れる > から、夏至日没方位は現在の西から > 二六度四三分西南の方位となる。 > この方位こそ、現在の東西南北そ > のままで現在のルクソールの北半球に > おける冬至日の出 > と夏至日没の方位なのである・・・・こ > の方位は、つまり、もしトトメス三世 > の頃、地軸が大移 > 動したとしたら、地軸大移動直後の > 冬至日の出、夏至日没等の方位を示し > ているのだ。 > では地軸大移動前の冬至日没、夏至 > 日の出方位はどの方角であったか? > エジプト、ギゼー(大ピラミッド所 > 在地)は現在北緯三〇度で、旧緯度南 > 緯約一九度であり、 > 方位差はほとんどなく、五〇分以下 > であった。 > ルクソールもほとんど方位差はな > く、四八分ほど現在の西に偏り、緯度 > は一一度ほど低く > なるから、旧緯度は約一五度であっ > た・・・・・・旧南極(西経約一四五度、北 > 緯約七九度に位置 > したとして)が南極である場合ルク > ソール(テーベ)の緯度と方位は球面 > 三角法で計算して > 以下である。 > > ① 緯度・・・・南緯約一五度(計算 > 値は南緯一四度二四分) > ② 方位は現在の東=西、西= > 東、南=北、北=南へと変化した(太 > 陽は現在の西から昇 > り、現在の東に没した)方位偏 > 差 は正確には鳥瞰して反時計ま > わりに四〇分ほど > のずれがあった。 > > その旧冬至日没方位、旧夏至日の > 出方位は常識を絶している(現在の西 > 北西から旧夏至の > 太陽が昇り、現在の東南東に旧冬至 > の太陽が没した・・・・これは計算値で各 > 二四度四五分となる) > 右を現在の東西南北に換算すれば以 > 下となる・・・・これはあくまで計算値で > あるから、冬至日 > 没の実測値は一分ほどこの緯度では > 東西の方へ近づくであろう(旧東西線 > である)それに方 > 位差は四〇分ほど西に偏りがあるか > ら、旧方位を現在の東西南北に換算す > れば、この四〇分 > の方位差も方位を現在の東へ近づけ > ることになる・・・・現在の東から東南東 > に二四度四分離れ > た方位が旧冬至の日没の方位である > ・・・・・・夏至の日の出の場合なら、緯度 > 的に一分ほど急東 > 西線から離れる。また、方位差に > よって、旧東西線は現在の東西線より > 四〇分ほど鳥瞰して > 逆時計回りに偏差しているから、夏 > 至日の出は四〇分ほど現在の西に近づ > くことになる。 > ・・・・・・現在の西から西北西に二四度 > 六分離れた方位である。右の方位を現 > 在の東西南北に換 > 算して図示すれば、旧冬至日没の実 > 測推定値は現在の東より東南東に二四 > 度四分の方位と出 > た。この方位が現在の東西南北に換 > 算されていることに注意されたい。 > 旧夏至日の出の場合は現在の西から > 西北西に二四度六分と出た。この場合 > も現代の東西南北 > に換算して方位を示している。 > 地軸大移動の前後にエジプトのルク > ソールでは、様々な変化とともに、旧 > 冬至日没の方位は > 地軸大移動直後の冬至日の出と比較 > して二度三三分も変わってしまったの > である。 > また、旧夏至日の出の場合は、地軸 > 移動直後の夏至日没の方位二六度四三 > 分から二四度六分 > を除した二度三七分も絶対値で変化 > したことになる。 > では、このどちらがこの大神殿の > 眞の方位であったか?二四度四分か、 > 二四度六分か・・・・ > それは後者だと思う。なぜなら、ア > モン・ラー大神殿の正門が向く方向は西 > 北西で、地軸大 > 移動前の夏至の日の出方向であった > からだ(例えば『王と神とナイル』鈴 > 木八司著中の測量 > 図・・・・・新潮社刊の二一九頁ではだい > たい二四度の方位を示しているが旧夏 > 至日の出と旧冬至 > 日没の方位二分の差はこの資料から > 明確にすることは困難である・・・・) > ともかく、本書の後章で示すごと > くパーリー諸島の極は南極であり、こ > の大神殿は現在の西 > から太陽が昇った時代に造られた遺 > 跡だと推定できるのだ(ヘロドトスは > 『歴史』の中で、か > って西から太陽が昇ったとエジプト > の神官が彼に語ったと述べている。B > C480~425) > 当時(地軸移動前の)アモン・ > ラー大神殿の所在地では現在の西北西 > にあるナイル河方面 > から夏至の朝日が昇ったのである。 > その時、光線が直射するようにこの神 > 殿の主軸が設計さ > れていたのだ。 > 地軸大移動によって、農産物から始 > まり、気候も大巾に変化し、例えば、 > 河馬の居たルクソー > ル(旧テーベ)あたりも河馬の生息 > に適さなくなるほどの変化があった > (河馬は現在、熱帯 > 地方、緯度十五度以内を限界として > 生息すると言われている) > この地軸大移動の変化は、アモン・ > ラー大神殿にとって大変化であった。 > 夏至の太陽が昇って来た方向に夏 > の太陽が没するようになると言う大変 > な変化はもちろん > のこと、冬至の太陽が没した方向に > 冬の太陽が昇って来たのである。 > この時、エジプトの僧侶やファラ > オは、アモン・ラー大神殿が夏至の太 > 陽日の出方向を指 > す聖なる寺院から、夏至の太陽が没 > する方向を主軸とする寺院だと民衆を > 欺くことができた > であろうか? > 地軸大移動前の夏至の日の出方向 > は、西北西二四度六分であった。地軸 > 移動後は夏至の日 > 没方向は西北西二六度四三分に変化 > したのだ。 > 五百mの直線の門の連なりで二度 > 四五分方位が変わると、末端で約二十 > 三m余も方位が変 > わるのであるから目じるしは大移動 > させねばならない。それは可能であっ > たか? > アモン・ラー大神殿の門の大集合 > が、まさに地軸移動前の夏至日の出方 > 向を主軸にもってい > たとすれば、せまい門の幅は四m以 > 下であるから、誤差範囲は三十分ほど > でしかなかったのだ。 > 何十代もの王によって巨石を積 > み、形成されたこの大神殿を一代の王 > が全部移動させ、修正 > することはできないことであった。 > 日光を門に呼び入れる為に、門を > すべて破壊して、二十三m以上もはず > れたところに門を造 > るべきか、それとも門をふさいでし > まうべきか、この二者択一にファラオ > は直面したであろう。 > 王は結局、祝祭殿を建てて門をふさ > ぐしかなかったのである。この王こそ > トトメス三世であ > った。 > この移動が起こったのは、だか > ら、トトメス三世の治世か、その前の > ハトシェプスト女王の > 末期にちがいない(BC一五〇〇年 > 頃) > 他にも、このBC一千五百年に世 > 界的な変化と異変、歴史上の混乱があ > ることから私は地軸 > の移動をこの時期に起こったと推定 > し、主張しているのである(例えば > モーゼの時代の異変・・ > 聖書の証言) > 現在、現在の冬至日の出が、この > トトメス三世の祝祭殿(直線で見通せ > る門の集合を横切り、 > ふさぐ為に造られた建造物)の真裏 > の壁から、背後のラー・ホル・アクティ > 神殿の門を通して見 > ることが出来ると言われている。こ > の方位は門が沢山集会した、精度を高 > めた方位ではないの > で、視点を少し移動させれば二度強 > ほどの誤差修整はわけないことなので > ある。 > > 轆輪眞山著 『天文考古学と地軸 > 大移動』一九九九年発刊・・・・よりの抜 > 粋 > > > >
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